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失敗からの学習について

物事は常にうまくいくとは限らない。当然失敗するという現実は万人もわかっていることであるが、その時の対応によりその後の人生が大きく変わる。

 
「失敗から学ぶ」とはどういうことだろうか?それはよく言われることであるが、実はとても難しいことである。
今回はこの話題について少し深く考えてみたいと思う。
 
 
『なぜ失敗するのか?』
 
そもそもの出発点である。「失敗」とは何か?別に哲学の話をしているわけではないが、一般的に失敗とは期待することと異なる結果を指すことが多い。
期待する結果とかい離があるというのは、そもそも期待が高いからである、というふうにも考えられる。人間は望ましいことを期待し、それに反した時に「失敗した」と判断する。ところがそもそも確率的には失敗する確率は一定以上存在し、自分が思っているよりも高いことが多い。
 
つまり客観的に見るのであれば、失敗する確率が高い時に、起こるべくして起こった失敗を嘆くことは確率的にはおかしなことだ。しかし心理的には自分の期待値が高いがために、その好まざる結果に対して失望する。
 
この失望するという確率論的結末と矛盾する行為が、時にして人間に非合理的な対応を誘発することがある。
それは過剰の否定的反応としてあらわれ、長い間の無気力ややる気の欠如などにつながることもある。
 
起ってしまった結果は変わらないと頭で理解しつつも、なかなかそこから脱することができないのは誰もが経験することであろう。
多かれ少なかれ感情的に支配される人間にとって宿命的でもあるこの行為に対し、どのような対応をすることが長い未来に対して有効であろうか?
 
自分の周囲を見渡し数々の人々を見てきた私見ではあるが、この対応の仕方でその後の人生がうまくいく、いかないの分岐点があるように思われる。
いわゆる「成功者」と「そうでないもの」を分けるルールがここに存在するように思えて仕方がない。
「成功者」と後に呼ばれる人々は、「失敗」を単なる失敗で終わらせず、そこから学び、奮起し、乗り越え次なる次元に進んでいる。

そういう意味では「失敗」は彼らにとって最終的に成功するプロセスの一部である。どの成功者も多くの場合何度かの挫折を経験している。世の中は彼らにとってもずっと成功し続けられるとは限らない。しかし後に成功者となる人々は失敗で終わらず、そこからどんどん先にすすんでいき自ら決めたゴールにたどり着くまであきらめない。その途中では成功している時よりも、失敗していることの方が多いかもしれないが、めげることなく先へすすむことで、少しずつでも前進する。
 
一方成功しない人々は、結果に失望した後、生産的な行動をとらずに失敗に引きずられたままになるか、失敗を受け止めず現実から逃避する、すぐにあきらめて目標を放棄する、などの行為を取ることが多い。
自らの感情システムを壊さないための防御行動でもあるが、これをずっと取っていると自らのゴールには決して達することはできない。
 
 
一般にみられる望ましくない対応とは、感情的になる(ある程度はしょうがないが)
、長く否定的な感情を引きずる、周囲に責任転嫁するもしくはあたりまくる、目標をあきらめる(場合によっては修正が必要なこともある)、感情的に爆発する、というものが存在する。
 
本来は過剰に反応しなければ、対処できたものでも不適切な対応によってより自体が悪くなることもある。進歩するためには少なくとも合目的な行動が必要であるが、不適切な感情はそうすることの生涯になるのである。
 
 
少し大げさな言い方をするならば、ここに「勝者の哲学」の有無が存在し、それを持つ者は分野に関わらず成功者となり、持たない者はそうはならない。
 
「勝者の哲学」とは、言い方の多様性はあるが大まかに以下のような要素を持っていると思われる。
1)未来志向(変えられない過去に悲しむのではなく、帰られる未来に期待する)
2)事実と解釈を区別する(事実を客観的に、合理的な判断をする)
3)原因分析型(因果関係をはっきりさせ、うまくいかない原因を特定する)
4)学習意欲とフィードバックシステム(不確実であっても恐れずに前にでて、試行錯誤から学ぶ姿勢がある)
5)行動力(考えたことは必ず実行に移す)
 
 
 
長くなったので最後に要約すると、成功者とそうでない人を分ける行為は、失敗の後の対応である。成功者はネガティブでも結果を受け入れ、原因と対策を考え、次のステップに取り組み、うまくいくまであきらめない。
そうでない人は、結果をいつまでも引きずられたり、現実を受け入れない、もしくは不適切な対応で解決できないままになる。

誰でも経験する「失敗」が対応の方法によって、その後の人生に大きな差となってあらわれるのである。
 
。。。(2014・07・07)