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好きなことか?得意なことか?

会社や仕事を選ぶときに、
 
「好きなことか、得意なことかどちらを優先すればよいですか?」
 
という質問をよく受けます。
直球の回答は、
 
「それは両方大切です!」
 
Goodfindでロジカルシンキングをやっている先生の立場で、少しおせっかいにこたえるのであれば、「好きなこと」と「得意なこと」は別の軸で、どちらか一方を選ぶと他方が犠牲になる物ではありません、と言います。
 
もう少し理系オタク的な表現をするのであれば、それは2つの独立した変数をもつ時の”最適解”問題です、と説明します。一般的な言い方をすると「好きなこと」と「得意なこと」にはそれぞれ独立しており、数字の大小のグラデーションがあります。その中で自分がバランスをとって最も良い”組み合わせ”を選びましょう、ということになります。
 
では次に別の質問に行きましょう。
 
「好きでないけど得意なこと」と「好きだけど不得意なところ」はどちらがよいですか?
 
これはベクトルとしては反対向きになるため、両方同時には成り立ちません。
ここには「好きなこと/好きでないこと」、「得意なこと/得意でないこと」の2軸が存在しています。
 
つまり4通りの分類があるわけで以下のようになります。
 
(1)好き かつ 得意 =>全く問題ない!
(2)好き かつ 得意でない =>どうしよう??? 
(3)好きでない かつ 得意 =>どうしよう???
(4)好きでない かつ 得意でない =>そもそも問題外!
 
このうち微妙な(2)と(3)の選択となった場合にどうするか?ということですが、結論はある程度これまで多くの人を見てきた統計的な結果からフィードバックできます。
 
結論は「好きで、かつ、得意でない」ことを選んで、それで得意になっていくか、別のものを見つけるようになる、です。
 
「得意だけれど、好きでないもの」を選んだケースは途中でやめます。やはり人間、本能には正直なもので、短期なら我慢することもありますが、10年20年と好きでもないことをするということは、”統計系に”ほぼありません。
 
*”統計的に”という意味は、多くの場合はそうなって、例外もあるかもしれないけど少数である、ということです。
 
私は多くの人に対して、立場上進路などの相談を受けることが多いのですが、自分の進路は自分の好き嫌いで決めてよいと言っています。だって将来の保証もないののつまらないことをしていても、おもしろくないでしょう?
 
ただ注意してほしいのは、そうなると刹那的に好きなことばかりやっていていいんだな!とは解釈しないでください。仕事はある程度安定して収入を得るという目的があるはずなので、そういう意味ではちゃんと社会で貢献できる分野で得意な分野を見つけるということは、別軸として存在します。
 
最後に一般化してまとめると、「好き/好きでない」、「得意/得意でない」など選択にはいくつかの軸があり、論理的に考えるのであれば、そういう軸は複数あることが自然で、その中で納得できるものを探していくのがよいと思います。
 
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フェルミ推定と数理モデル

最近、就活でよくでてくるフェルミ推定とは、どういうもので、どうやって説くのか?
今回はこれについて簡単にお話します。
 
これは科学の研究の言葉で表現するなら「数理モデル」を作るという行為と同じです。具体的には、対象となる事象に対して、注意深く観察し、いくつかの特徴となる変数を複数みつけて、それらの関係を数式などで記述します。
 
例えば以下のようなものが数理モデルの例で、これは自然科学だけでなく人文科学や社会科学でも同様にでてきますから、理系だけというものではありません。
 
例 
人口の増え方から将来の需要を予測する
細胞分裂の速度とそれを決定する要因の関係を特徴づける(温度、濃度、PH、、、)
今年のインフルエンザの患者数を推測する
20年後の地球の気温を予測する
死亡率や出生率から生命保険の料金を試算する
デリバティブの商品を作りリスクを軽減する
・・・・
 
上記はどれも、本質的に現象を決定するパラメータ(変数)を見つけて、それらを使った近似式を見つけ、説明したり予測したりすることをしています。
 
フェルミ推定はそれが就活という場で、市場規模だとか売り上げ予測という形で出てきます。これは特別新しいことは何もく、メルカリの売れる価格の予測など身近なものと全く変わりません。
したがって、実験室もしくは市場調査など日ごろの研究などで行っている思考法をそのまま使えばいいんです。
 
ではいったいどうやって数理モデルをつくるのか?一般論は以下に簡単に説明しますが、たぶんいくつかやってみたほうが早くなれると思います。
 
総じてそのプロセスを一般的に解説するならば以下のようになります。
 
(1)数値で現象の結果を決めるもの(変数)を複数みつける
 
気温、湿度、株価、人口、生存率、、、
 
(2)複数の変数にはなんらかの関係を見つける
それは独立変数/従属変数のこともあれば、相関関係があるもの、因果関係があるものなどさまざま
 
(3)複数の関係のある変数を数式で表現する
 
(4)そのモデルをもとに現象を説明したり、将来の予測を行う
 
 
なんか書き上げてみても、きわめて当たり前ですね(笑)。
フェルミ推定なんて、そんなものです。
 
 
就活という文脈で見るのであれば、いくつかの点で難しいところもあります。まず時間が短いです。5分とか10分で自分のなじみのない数字を試算させられますが、全く知らない分野ということも多々あります。
 
普段は実験室でDNAの解析をしているのに、突然市場規模を聞かれても、最初は戸惑いますよね(笑)
 
ですが、市場とか売上高とかは慣れると、因数分解のパターンが少ないので、何題かやってみるるとよいと思います。
 
例えば
 
コロナの影響で全国のラーメン屋はどれくらい売り上げが落ちたか?
日本のアイスクリームの市場規模は?
中国のスタバの店舗数は?
 
「顧客」という視点で見て、それを「地域別」「年齢別」「所得別」などで分けてみると、多くのケースをカバーできると思います。ちなみにこのように「顧客」をある特徴で分けることをマーケティングでは「セグメンテーション」といい、分けられたそれぞれのことを「セグメント」という言い方をします。
 
例として最後の「中国のスタバ」の店舗数について考えてみましょう。
知識として分からない部分があれば、それは自分の想像で埋めてみてください。
 
これを考えるにあたり、中国のスタバに関する情報をまず集めましょう。
 
・中国にも都会を中心にスタバがたくさんあり、若者に人気がある
・単価は日本より少し高い
・中国は14億の人口がある
・中国の都会である北京や上海には東京並み、または東京以上にスタバがある
・中国の若者はネットが好きで、スタバの写真を上げる人が多い
・スタバの競合のコーヒー店もたくさんある
・・・
 
考え方としては何通りかあると思います。それは自分の知っている知識によりモデルが異なるのは自然なことです。
 
例えば
 
日本との比較で考える
*日本の店舗数は**だから中国はこれの**倍(または*分の1)
人口当たりの店舗数で求める
*都市単位、または国単位
大都市と地方を分けて、それぞれの都市で平均どれくらい店舗があるか試算して合算する
*日本でもスタバは都会と田舎では数が違うことを考慮
世界のスタバの店舗数から中国のシェアをもとめる
*全世界で**店舗だから中国では**店
 
 
これらの中から自分が最もモデルを想像しやすいものを用いればよいですが、あくまで実際の現象とモデルが対応していないと数字は合わないので自分勝手ではだめです。
 
それと数理モデルでは、あくまで「数字」を試算するためのモデルなので、数量が分からないただの因数分解みたいなものは、その要件を満たさないのでダメです。
 
例えば中国のスタバの店舗数を求めるときに、「人口当たりのスタバ数」に14億の人口をかければ答えは求まりますが、「人口あたりのスタバ数」を適当に入れる場合は全く実態を見ていないので、ただしいモデルとは言えません。あくまで数字までを想像できる関係を見出せる分解を作らないと説明もできないし、修正もできないので注意してください。
 
結果は自分でやってみた後に、ネットで調べればスタバのオフィシャルページには最新のものが載っているので比べてみてください。
 
フェルミ推定は、こんなかんじでやってみるのが慣れるのによいと思いますので、ぜひ何題か自分で考えてやってみて、その後ネットで回答と比べてみればよいと思います。
 
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論理的推論の基礎(「AならばBである」)

論理的な推論は常に結果の正しさを保障するものではありませんが、少なくとも前提となる情報を元により高い確率で良い結論に導きます。
 
論理的に推論することのメリットには一般に以下のようなものがあります。
 
1)良い意思決定ができる
2)説明が容易になる
3)結果の検証がしやすい
4)未来予測の精度があがる
 
一般の世の中を見ている範囲では、推論は常に論理的ではないように思えます。その例なども本論で一緒に見ながら解説していきます。
 
まず「論理的推論」という言葉の意味を考えてみましょう。
一般的に「推論」は以下の3つの要素から構成されます。
(この「論理の三要素」は、スティーヴン・トゥールミンによるトゥールミンモデルが有名である)
 
1)前提となる事実などの情報(”A”とする)
2)元の情報から正しい判断
3)導かれた結論(”B”とする)
 
この「AならばBである」の基本形をもとに推論について解説します。
 
ちなみに、以前の記事で「AならばBである」という命題の基本形の話をしましたので、こちらも参考にご覧ください。
(リンク先)「論理(ロジック)」について学びなおす~その1「命題」について~
 
*注、だんだん専門的になって難しくなっていきます(笑)。(約8000字)
 
まず、以下のような例から考えてみましょう。
 
<推論の例(1)>
 
病気にかかると味覚がなくなる
味覚がない
たぶん病気にかかったのだろう
 
一見すると三段論法のように見えて論理的に見えます。しかし論理的に考えれば、この結論は100%正しいとは言えません。つまり、
 
「味覚がない=>病気になった!」
 
の推論は誤りである可能性が否定できず、断言はできない。これで断言できると判断した人は、論理的な判断ではなかったことになります。
 
<反例> *「反例」とは証明したい事実に反する例で、これがある場合は命題は否定される
 
料理に調味料を入れるのを忘れた!
 
こういう可能性が排除できないため、厳密に論理を扱う「論理学」ではこの推論は正しくないと解釈します。論理学の世界では”真”でないものは”偽”というように定義しています。そして注意すべきことは、論理学の「真である」は日常の言語の「正しい」と同じ意味なのですが、論理学の「偽」を日常の言語で表すと「必ずしも正しくない」という意味で、「誤りである」とは意味が異なります。
 
ややこしいのでまとめると
 
論理用語の「真である」=日常言語の「正しい」
論理用語の「偽である」=日常言語の「いつも正しいわけではない」
≠日常言語の「誤まり」 *「誤まり」は100%間違っているという使われ方が多い
 
 
では、この単純な3つの文章をもう少し論理学の立場から解説していきましょう。
与えられた文章をまず記号で置き換えてみます。
 
「病気にかかる」("A”とする)
「味覚がない」(”B”とする)
 
そうすると上の3つの文章は以下になります。
 
「AならばBである」(病気にかかると味覚がなくなる)
「Bが成り立つ」(味覚がない)
「このときAが成り立つ」(たぶん病気にかかったのだろう)
 
そして
「味覚がないのは、病気になったからだ」というのは、
 
「BならばAである」
 
と置き換えられます。
 
つまりこの推論において、「AならばBである」のとき「BならばAである」が成り立つと主張しています。
 
「AならばBである」という命題に対して「BならばAである」を(命題の)”逆”と言いますが、
これは元の命題が真でも、その”逆”は常に真にはなりません。だから推論としては誤りです。
 
 
 
以下の例は簡単な数学の例ですが、こちらのほうが分かりやすいかもしれません。
 
<推論の例(2)>
「a=2ならばa**2=4」 *「**」の記号は2乗という意味
この命題の逆は
「a**2=4ならばa=2」 これは解答としては誤りです。なぜならa=-2も解となるからです。
 
数学のほうがシンプルですね!
 
 
さて上記の一連の内容について解説すると、「AならばBである」ときにBが成り立つんだったら、絶対にAは成り立つはず!と考えるかもしれません。
しかしA以外のケースでもBが成り立つ可能性があります。
例えば
「CならばBである」も同時に成り立つときには、BだからといってAであるとは限りません。
今回の例でいえば
 
C =「(料理に)調味料を入れるのを忘れる」
 
がそれにあたり、文章に置き換えると
「調味料を入れるのを忘れると、味覚がなくなる」となります。
 
 
論理学的な解説を少しすると、「AならばBである」ときに「Bならば Aである」が成り立つのは、A以外のときにBが成り立たない場合です。つまり「AでないならばBでない」ときです。
 
少しややこしいので、整理しましょう。2つの条件を並べてみましょう。
「AならばBである」
「AでないならばBでない」
 
これは「AのときだけがBになる」と言っていますね。
 
つまりまとめるとこういうことです。
 
「AならばBである」ときに
「Aが成り立つとき”のみ”Bになる」ならば
「BならばAである」が成り立つ
 
このように「AならばBである」かつ「BならばAである」の2つが同時に成り立つときに、論理学では「AとBは同値である」という言い方をします。また、元の命題とその対偶のように常に真偽が一致するものを「トートロジー」と呼びます。(対偶はトートロジーの一つ)
 
 
ちょっとだけ論理学の記号でおさらいします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(書き方の決まり)
AならばBである:「Aー>B」 と書く *真偽が決まる時「命題」とよびます
Aでない:「¬A」 と書く  *「」カッコは範囲を表しているだけです
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
「Aー>B」が真のとき・・・①
「¬Aー>¬B」(裏)は偽・・・②
「¬Bー>¬A」(対偶)は真・・・③
「Bー>A」(逆)は真・・・④
 
①と③は同値(真偽が”常に”一致します)
②と④は同値 *意外と意識されていない事実です。なのでどちらかが言えれば他方が絶対になりたつ。言い換えると元の命題の「逆」または「裏」が真の場合は、他方も真となる。
そしてその時にはAとBは同値である。(「BならばAである」は成り立つ)
 
 
「Aー>B」が真のとき
「¬Aー>¬B」も同時に成り立つなら
対偶である「Bー>A」も真になるため
「A->B」と「Bー>A」は同時に真になる
(「A<ー>B」という書き方をする)
このときAとBは同値であると定義する。
 
 
 
 
 
ここまで出てきた大事なポイントを最後にまとめます。
====================
(推論の大事な結論その1)「論理的推論で誤謬(ごびゅう)を含まない」
*誤謬=論理のエラーのこと
例①「AならばBである」ときに「BならばAである」は必ずしも成り立たない
例②「AならばBである」ときに「BならばAである」が成り立つ条件は、
「AのときだけがBになる」(=「AでないならばBでない」)が成り立つとき
 
日常の言葉に以上を翻訳すると
 
病気にかかると味覚がなくなる
味覚がない
たぶん病気にかかったのだろう
 
は誤り。なぜなら反例として「調味料を入れるのを忘れたから」がありうるから。
もし味覚がなくなる要素が「病気にかかる」に限定できるなら(またその時に限り)推論はただしい。
====================
 
それともう一つ何気なく使っていますが、「Aならば・・・」というときは、「Aが成り立っている」ということを前提として話をしています。これが成り立たないとき、つまり「Aでないとき」はBは何であってもよいということを論理では規定しています。
 
ということは前提条件や仮定となっているAが本当に成り立つかは重要です。それにより結論であるBの存在意義が変わります。もし、絶対に成り立たないAや、非現実的なAを持ってきて推論したところで、そんなことがないのであれば結論Bは一切意味がないことになるからです。
 
====================
(推論の大事な結論その2)「仮定の検証」
 
「AならばBである」の推論をするときには、「A」として成り立つ条件が入らないと推論自体が無意味になります。従ってしっかり課題に合わせた前提条件Aを設定することが大切。
 
====================
<事例研究>プラセボ効果
 
「C薬を飲むと、D病はなおる」
 
という命題があったとします。C薬を飲んだ後D病がよくなった人がいる場合、C薬に対する期待は大きいでしょう。そして実際に自分がD病にかかったときにC薬を飲んで治ったとします。
 
「やっぱりC薬はD病に効くよね!」
 
と喜びました。
 
しかしこれには少し検証が必要です。本当にC薬を飲んだおかげでD病は治ったのか?という検証が抜けています。つまり
 
「D病が治ったのは、C薬を飲んだから」
 
は元の命題の逆なので必ずしも言えません。実際C薬を飲まなかったとしても、じっと寝ていたら治ることだってありえます。
 
論理学の復習をしましょう。
「AならばBである」ときに、「BならばAである」とは一般に言えません。
もしもこれが言えるときには、「A以外の時にはBにならない」と言えないといけませんが、ここでその検討はされているでしょうか?より具体的に言うと「C薬飲まなかったとしても治った」ということがありうるのでしょうか・
 
これは論理的に考えれば不十分です。でもなんとなく上の薬の話ってよくありません?
もし本当にこれが成り立つことを調べるには、「A以外」のケースを調べないといけません。つまり比較実験をして「C薬を飲まなかったときに治ったか?」を調べないといけませんね。
 
実際に検証実験では”偽薬”を使って臨床試験を行い、それは被験者には偽薬であることを伝えられません。そして面白いことに偽薬には全く治療効果がないビタミン剤などを用いられるのですが、被験者の状態は良くなることが確認されています。これを「プラセボ効果」と呼んでいますが、気分次第で人間はある程度治癒力が増すことが分かっています。
 
一方、本物の薬を投与した場合の結果にも同様のプラセボ効果が効いていると判断し、偽薬の被験者との差分で薬の効果を判断します。
 
ではこの2つのケースを論理で書いてきましょう。
「C薬を飲む」(”A”とする)
「D病はなおる」(”B”とする)
 
「Aならば?」と「Aでないならば?」の両方を比較する。
そしてもし実験した結果、偽薬でもD病は治ったとします。
 
「C薬を飲むと、D病はなおる」:「AならばBである」 (Aー>B)
「C薬を飲まなくとも、D病はなおる」:「AでないならばBである」 (¬Aー>B)
 
これはどういうことかと言えば、Aに関係なくBは成り立つということを意味するので、AとBは関係ないということになります。
 
したがってここでの推論のエラー(誤謬)は、
 
「AならばBが成り立つ」ときには「BならばA」は一般には成り立たない」。
さらに、もし「AでないならばBが成り立つ」ならば、AとBは論理的に無関係である。
 
論理学の表記にすると
 
「Aー>B」とき、「Bー>A」は一般には成り立たない。
もし「¬Aー>B」が成り立つならば、AとBは無関係。
 
どうでしょう?病気の時のこのような推論は多いでしょう?
(医学部や薬学部の研究者は、この検証を毎日やっています)
 
 
 
<事例研究>
 
同じ論理構造を用いた心理学の有名な実験をご紹介します。
 
◆「四枚カード問題(ウェイソン選択課題、Wason selection task)」
 
4枚のカードがあり、それぞれ片面にはアルファベットが、もう片面には数字が書かれている。
 
「A」、「K」、「4」、「7」
 
上記4枚のカードが見えている状態である。
このとき、「片面が母音ならば、そのカードのもう一方の面は偶数でなければならない」というルールが成立しているかどうかを調べたい。そのために最低限のどのカードをめくるとすると判明するか?
 
 
 
論理的な正解は、「A」と「7」です。しかし「A」と「4」とする解答がよく出てくるそうです。
 
まず論理的な説明をします。
「A」のカードを調べるのは自然なことで、その裏が本当に偶数になっているかが直接分かるからです。もしもこのカードの裏が奇数であれば、与えられたルールは成り立ちません。
 
一方もしも母音のカードの裏が偶数というならば「4」のカードの裏は母音のはずだ!
 
はい、ここの推論が誤りです。「4」のカードの裏が母音でなかった(つまり子音)だとしても、このルールを満たさないとは言えません。
 
推論の中身を見ていきましょう。
 
「(片面が)母音ならば、そのカードの裏は偶数でなければならない」
これが前提でした。
 
これは、「(片面が)母音でなかったなら、その裏は奇数である」とは言っていません。
 
「AならばBである」ときに「AでないならばBでない」は一般には言えませんでしたね。(命題の”裏”)実際よくみると、元の命題では「母音でない場合」については何も規定していないので、Bも何でもよいのです(偶数でも奇数でもよい)。
したがって「4」のカードを裏返すことにより母音が出ても子音が出ても問題ないわけです。
 
そうなると「K」(母音でない)を裏返すことも実は検証には役に立ちません。母音でないカードの裏についてはこのルールは何も規定していないからです。
 
では「7」についてはどうでしょうか?
 
当然「7」の裏は「母音」または「母音でない(子音)」のどちらかです。
 
(ケース1)「母音」だとすると、その裏が「7」であることはルールに反します。
(ケース2)「母音でない」とすると、その裏が「7」であっても、なんであってもルールとは関係ないのでルールは成り立っている。
 
どちらのケースでもルールの検証は可能です。この結果と先に行った「A」をめくった結果を総合し、両方がルールを満たす場合には与えられたルールが成り立ち、そうでないなら成り立たないことが検証できます。
 
ここまでが論理学の解説です。
 
 
 
 
ここで、以下から少し論理学を離れた心理学の話をします。
 
この問題は有名な「ウェイソン選択課題」と呼ばれる心理学のテーマで、実験的に「A」と「4」と答えた人が、論理的な正解(「A」と「7」)を答えた人より多いことがわかっています。
 
その理由は、論理学のルールと、一般社会での用語のルールに差があるからです。ちなみに自然科学は基本的に論理学と同じルールを用いています。
 
一般社会で「AならばBである」と言った場合、「AでないならBでない」を暗黙に認める解釈もあります。ここが論理学との差分です。論理学の定義では誤りなのですが(つまり自然科学でも誤り)日常生活においては、慣習から論理学とは異なった解釈で使われることが多々あります。
 
実は、私も高校のときにこの「AならばB である」の命題について、「Aが成り立たないときはBはなんでもいい」と初めて教えられたときには「えー、ヘリクツだ!」と思いました(笑)。
 
しかし日常生活で例えば、「外に出ると日焼けする」、「彼は日焼けしている」、「だから彼は外に出た」という話をしたときに、ある人が「いや、あいつは日焼けサロン趣味だから」と言ったら一発で反証になりますよね。
 
そういう意味では論理学のほうが自然科学の推論においては適合していて、実際理系で勉強しているときには、論理の世界にどっぷりつかるので、日常とは少し違う「論理学」の解釈のほうに慣れてきます。(だから理系はヘリクツになるという話あり。はい、織田理系です(笑))
 
 
さて実験に話を戻すと、なぜこれが心理学かというと人間には自分が求める結論を求めたいという「確証バイアス(Confirmation Bias)」が存在するからです。
 
この例では「A」をめくって裏が偶数出ることを確認したとして、「やっぱりそうだ、ルールはあっているな!」と思った人は、「4」がでているカードも多分「偶数だからこうなっているんだ!」という期待を込めて裏返すかもしれません。つまり結論が成り立ってほしいときに、それを支持する情報”だけ”を集めたがるという傾向があり、これが上述の「確証バイアス」です。
 
「C薬を飲めばD病は治る」のケースで、いくつか治った事例があった時にその因果関係を検証せずに、結果として治ったことを例として、推測しましたが、論理的には厳密でありませんでした。
これも、たぶん「この薬はきく!」という思い込み(確証)をもとに、適合するデータだけを持ってきて推論したという点で、典型的な確証バイアスです。
 
そこで、ここの陥らないようにするためには、論理的に証明したいルールがあるのであれば、その反例を見つけることです。それが見つからないことが確認されればルールは成立するはずです。(★ここ大事!★)
反例がもしもすぐに見つかれば、与えられた命題は否定できます。もしも一生懸命見つけようとして見つからなければ命題が成り立ちます。
いいかえると以下のルールになります。
 
もしも与えられた命題を検証したいならば、反例を探すこと。それは確証バイアスに見られるようなたまたま適合する都合の良い情報だけを根拠にすることとは全く逆の態度になります。
 
これも大事な結論なので、まとめます。
 
====================
(推論の大事な結論その3)論理的に検証するなら反例を探す!
(「心理学の”確証バイアス”の排除」)
 
自分が望むルールを証明するときに、都合の良い例だけを用いてはならない。むしろ反例を探すと見つかった時には否定でき、それができなかったときには証明が完了する。
 
====================
 
今回の解説はいったんここで終わります。(お疲れ様です)
さあ、いかがでしょうか?
 
単純な「AならばBである」という命題の形から、論理的に言えること、言えないことなどを解説しましたが、日常の生活でも我々はあまり正しい推論をしていないことがあるのではないでしょうか。
実は私もその一人なので備忘の意味も込めて、今回はまとめました。
 
次回以降、また推論について、もう少し広い範囲のお話をします。
 
==============================
(参考)本日の話の復習を最低限にまとめると以下になります。*実はこれくらいの情報しかない(汗)
 
<高校で学んだ命題論理の復習より>
高校で学んだ命題論理を日常生活で使う時の注意をまとめます。
 
*以下の用語は説明なくここでは使用します。
(命題、真偽、命題の裏/逆/対偶、ド・モルガンの法則、背理法、命題の同値)
 
命題の基本形「AならばBである」の推論の注意点
 
(1)命題「AならばBである」の仮定Aを有意なものとせよ
(2)「AならばBである」のとき、この命題の”逆”(「BならばAである」)は一般に成り立たない
(3)「AならばBである」のとき、逆が成り立つのは「Aの時のみBである」(=「AでないときBでない」)の場合で、この場合はAとBは論理的に”同値”である。
(4)「AならばBである」を証明したい場合は反例を探す。つまりAであるがBが成り立たない例、またはBでないがAである例を探す。(後者は対偶の反例)
成り立つ例をたくさん持ってきても、証明にはならない。(「確証バイアス」を増強するだけ)
*「確証バイアス」とは心理学用語で自分が確信する情報だけを持ってくること
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ケーススタディでのNG集(サマーインターン対策編)

今回は新規事業の立案や、既存事業の改善策を作るなどの「ケーススタディ」と呼ばれる問題を解決する方法についてお話しします。
 
就活生用に書かれていますが、一般のビジネスパーソンでも事業の評価や改善で使えるのでよかったらご覧ください。(社会人向けのセミナーもやっております!)

就職活動ではケーススタディを使った選考には複数人数で行うグループワークと個人で行うケース面接ががあります。どちらも課題を与えられて、一定時間の考察の後に発表して質疑応答などが後に来ることもあります。
ちなみにケース面接では発表後の質疑応答がしっかりしないと通過しないので、発表がゴールではなく発表が終わったところから始まるくらいに考えるとよいと思います。
 
グループワークと個人ワークの違いは、グループワークが課題の検討をチームで取り組むためチームワークの様子を見て、個々が課題解決を通してどのような振る舞いをしているかを見ます。一方個人ワークはメンバーとのすり合わせがない分すべて個人で考えるためより深く考えられた矛盾のない説明が求められます。
 
純粋に論理的に考えて課題解決をしたいのであれば、まずインプットとして現状の詳しい情報が必要になります。例えば業界全体の成長率や現状のシェア、製品の特徴、顧客のニーズなど様々な情報があります。
それらが複雑に絡み合って現在の状態ができているのですが、そこから問題となっている点を特定して、さらにそうなっている原因を見つけることが大切です。
その原因が見つかれば、それに対して何らかのアクション(解決策)を施し、現在の状態から望ましい状態に変えていくことが問題解決の基本プロセスになります。
* 新卒23卒向けの「ケース面接対策セミナー」はこちらから
https://www.goodfind.jp/2023/seminar/6022

*社会人向けのビジネスケース/課題解決の理論と演習(資料)はこちら

 
この一連のプロセスで論理的な推論を行う部分が多いのですが、その論理的な推論ということについて、我々は実は特に教育を受けているわけではありません。
そもそも「論理的」とはどういうことかを、明確に定義されていないまま我々は経験則のみで、この用語を使い、経験則からある程度、何が論理的でないかを意識してそうならないようにしているというのが実情ではないでしょうか。
 
この場面でよくあるNG集は以下の通りで、論理的でないという例です。
 
◆推論の前提を自分勝手に解釈している(勝手に「定義する」)
*前提条件を緩和することで問題は簡単なものに書き換え
例。個人と法人のうち個人のほうが考えやすいので対象としました
 
◆問題解決なのに、問題の実情とは違う前提を置いて推論する
*前提が誤っている推論の結論は全く意味を持たない
例。80歳以上のシニアが全員スマホを使うとすると(そんなの無理!)
 
◆課題とはあまり関係のない一部分に焦点を合わせて推論する
*問題の原因となっていないものを変えても状況は変わらない
例。この商品が売れないのはブランド色が赤いからだと考えました。(色のせいですか?)
 
◆推論のプロセス自体が論理的に矛盾している
*循環論法や相関と因果の混同など
例。シェアが高いことが勝つための基本だ。よって今後の戦略はシェアを上げることだ
 
◆量や数字の情報がまるまる抜けていて実情と合わない
*個々の数字ではなく統計的に意味のある数字を使っているか
例。新しく予算を付ければ少子化は防げます(一人いくら必要?そんなお金どこにある?)
 
◆形容詞を主観的(もしくは恣意的に)判断して使う
*「良い/悪い」などは基準と比較があり成立するもので絶対基準はない
例。日本の起業環境は悪いため(「悪い」は何を基準に?どこと比較して?)
 
◆過度の一般化で具体性がなく現実性がない
*抽象的に考えたはよいが、結果が一般論として正しいが具体性がない
例。売り上げを伸ばすには、ブランディングが必要です(それは間違いはないけど)
 
◆結論が施策でなく問題点の指摘のみになっている
*「どうやって」が抜けているものは施策とは言わない
例。シニア層に売れていないため、そこを強化します。
 
 
基本的に日本の就職活動では、知識の有無で選考が通ったり落ちたりすることはありません。知らないならその場で最低限の質問をするか、創造で補えばよいことです。
採用の立場からすると、何かを知っているからその人は優秀だとか、そうでないかとは考えません。日本での新卒はポテンシャル採用であり、研究職などの一部を除いては学科による有利不利は存在しません。
 
しかしそうであるからこそ、考える力や、挑戦する態度など基礎的な素養が求められます。ところがやっかいなことに、この基礎力というものは一夜漬けでは体得できずしっかり時間をかけて反復しないと身につきませんし、態度という点についてはこれまでの環境からの影響が作用しています。
 
Goodfindでは仕事のみならず研究などにおいても必要とされる、基礎の基礎のセミナーを用意しております。
ロジカルシンキング、ケース面接対策(=問題解決力)、コミュニケーションなどどこでも必要とされるベーシックなものを基礎から学べますので、多少時間がかかってもしっかり将来のためにマスターしていただければと思います。
 
 


ポストコロナの一期一会

今日は七夕のカップルの出会いの日というわけではないですが、コロナ以降もしばらく続くと思われるリモートライフでの一期一会についてお話します。
 
もうかれこれ1年以上の自粛生活を余儀なくされていますが、不便であるといいつつも、これに慣れてしまって元に戻るのも嫌だ、という方も少なからずいるのではないでしょうか。
 
私も実はその一人で、人と会わないことには寂しさを感じつつも、朝夕の通勤とかクライアントのオフィス訪問など、できれば物理的移動に時間と労力をあまり使いたくないと正直思います。
 
おそらく今後10年か20年たつと、「そういえば昔、毎朝満員電車に乗って会社行っていたな。。。」とう時代も来そうです。
 
そういう状況で少し楽をしている人も多いのですが、ここで気を付けないといけないことの一つは、何もしないとネットワークがどんどん狭くなっていく、もしくは全然拡がらないとう問題です。
 
例えばオフラインのイベントに行けば、せっかく来たのですし知らない人とも多少は挨拶したり名刺交換したりするでしょう。(少なくとも自分はします)。
しかし現在のオンラインのセミナーやイベントで、いったいどれだけの人がスピーカー以外と知り合うことがあるでしょうか?
なんとなく画面上参加者として気になる人がいたとしても、まずその人に声をかけるということはしません。講演終了後に懇親会を開いたとしても、知らない人の間で会話することは、かなりまれなのではないでしょうか?
 
つまり”出会い”が少なくなるわけです。
 
これはあえて積極的に何かをしないとネットワーキングとしては、きわめてまずい状況です。
人と知り合って、その人と話をするということはビジネスのみならず、視野を広げたり、新しい知識を得るためにも非常に大切です。
時に自分とは全く関係ない人や、仕事上まったく関係のない人と出会うことで、違う世界を見つけたり、日常とは違う行動に結びついたり、一見無駄と思われるところに未来の新しい可能性がたくさんあります。
 
では具体的にどうするかといえば、SNSを積極的に活用したり、自分が主催者になってwebinarや勉強会を開いたり、clubhouseで定期的に会を作ったり、様々な活動をあえてやってみる積極性が必要です。
 
実際のところこれがかなりハードルが高いことと思います。これは人によりますと思いますが、少なくともこれまで主催者になったことがない人や、人の前で話すことのあまりない人には大変なことと思います。
しかし、大変だからこそやった人はそれだけのものを得られますし、やらないこととやることの差はどんどん大きくなっていきます。
 
ネットで失敗したらどうしようと悩むこともあるかもしれません。しかし最初はたぶんその心配よりも誰も来ないことや、何もしないで機会損失をすることのデメリットのほうがはるかに大きいのです。
 
まずは第一歩目を踏み出して、ダメもとでやってみてはいかがでしょうか?
はじめは実名のtwitterfacebook、linkedinあたりを作り、ネットでつながった人とはどんどん積極的にメッセージを交換するというところから始めていけばよいと思います。
 
。。。(2021/7/7)

複雑化する世界と政治・経済についてーグローバリゼーションの今後は?米中は今後どうなる?資本主義のシステムは機能する?ー

『複雑化する世界と政治・経済についてーグローバリゼーションの今後は?米中は今後どうなる?資本主義のシステムは機能する?ー』


グローバル化が進み世界のいたるところで貿易や製造が盛んになり、物質的にはどんどん豊かになる一方で、政治的もしくは社会的な問題点も次々に明らかになっている。
グローバル社会での国政のかじ取りの難しさはどんどん深まるばかりで、多くの国が複雑に絡みあう中、政治家は最適な意思決定をいかにすべきか方法を模索している。
物が豊かな先進国においては、政権獲得のためには経済対策が重要になる。おもしろいことに先進国で豊になればなるほど物の豊かさに対する国民の要望が強くなり、経済政策の成否で選挙が決まる傾向が強い。
このような状況では国防などの利害などを忘れがちになり、いつの間にか経済を優先している間に国際社会の中での自分の位置づけが悪い方向に進んでいることもありうる。
例えば米中貿易戦争なども典型的な例だ。米中は国防上は非常に微妙な関係があるが、経済面で見れば双方とも完全にパートナーの関係である。例えばアメリカ人が毎日のように使うアップル製品は多くが中国で作られるし、反対にアメリカで作られる映画も最も多くの人に見られるのは中国であり、14億人というアメリカの3倍以上の人数を持つ市場規模は、もはやアメリカの経済にとっては不可欠なものになっている。
(添付図1)

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それに中国はアメリカの借金である米国債を日本に次ぐ第二位の保有国である。アメリカの金融バブルの結果の2008年リーマンショックで資金提供したのは貿易黒字を積み上げた中国と、中東のオイルマネーであったことは記憶に新しい。
(添付図2)

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したがってニュースで多く流れるように国防的には微妙な二国関係であるが、それをデカップリング(分離)することは双方にとってもはや不可能なレベルに来ている。
一方別の視点で世界を見て、先進国と途上国の関係でとらえると、先進国である欧米で資金を調達して、コストが安く経済発展中の途上国にインフラや工場を投資し生産して、その製品や稼ぎを還流させる動きが相変わらず盛んである。
現在の経済システムは資本主義が進んだおかげで、資金調達が多様化し比較的どこからでもお金が手に入るようになった。また技術の進歩により製品の製造効率も上がり世界で最も安く良いものができる場所を探して物を作っている。
先進国は日本を含め資金的には豊かなものの少子高齢化と成熟経済のせいで上昇余地が少なく需要不足を海外の途上国の潜在購買力に期待している。
一方途上国では資金不足でインフラ整備も必要な中、旺盛な潜在需要をバックに先進国から技術と資金の提供を受け、代わりに廉価な労働力と市場開放を行う。
この構造をもとにそれぞれの先進国と途上国が国防上の利害などを絡めて交渉を進めているのが現状である。
この政治と経済の枠組みをより複雑にするのが、宗教や民族、そして過去の侵略の歴史である。ある意味経済的な合理性は金銭的なモチベーションで測りやすくシンプルであるため、それだけを考えれば最適解は見出しやすい。(とは言っても格差の問題などは複雑な部分ももちろんある)
一方、領土や民族、宗教の問題はより複雑である。特に領土の問題は非常にセンシティブであり、過去に殺しあった事件は人々の記憶から消し去るのは容易ではないし、それが世界大戦などを引き起こした歴史を見れば慎重に取り組むべき問題であることは明らかだろう。
ここからは楽観的で創造の域は越えない理想論であるが、もし仮に経済的に社会が”全般的に”が豊かになれば地域紛争や宗教の争いなども減ると考えている。より具体的には域内経済格差が一定以下であり、かつ最も貧しい人でも一定の生活を保障されている状態が望ましい。
このような状況下では、人々はわざわざ武器を持って暴れる必要などは基本的にはないからである。
地域紛争などもよく状況を観察してみれば、背景に経済的な理由があることがわかる。例えば原油が出る中東では欧州の国が定めて国境が紛争の原因となっているが、それが小さな紛争で終わらないのは産業の米である原油が世界経済に与える影響が多いため、政治などを使って取り合いをしているという構図がある。
天然資源の取り合いはアフリカでも多発し、先進国の一部の企業なり団体が資金提供して利権を取るために現地の一部のリーダーと手を取り独占して自分たちの利権を確保する一方、現地の他の人々にその恩恵を還元しないために格差が拡大し暴動などを誘発している。このようなケースでは先進国の傀儡政権が豊富な資金やネットワークで国を牛耳り、愚民政策をほどこし反抗する知識(教育)と豊かさを提供しないことが頻繁にみられる。さらに悪いことには、この地域の紛争に大国が裏で武器や資金の提供をしてより紛争の長期化、複雑化をさせている事情もある。
政治面はさておき、富の配分という純粋経済学的に考えるのであれば、地域のどの範囲で問題を解決するかということは結局はどの範囲までの人をどの程度豊かにするかという点で問題の枠組みが決まってくる。
それが国内の一部の利害関係者だけのためになればなるほど、格差は大きくなり社会問題として大きくなり、問題解決から遠のいていくことは現在見ている通りだ。
範囲が広く複数の国が絡むようになれば、利害はより複雑化し解決策もコンセンサス形成に時間と手間が要する。範囲が広くなれば最大公約数が小さくなるのは数学でなくとも自明な事実である。
上記の話を統合的に考えてみるとグローバリゼーションの問題の本質の一つは経済的な富の配分とその中でのルールなり仕組みを考える組織の問題であると解釈できる。
世界全体の枠組み、もしくは多国籍の地域の中での協力は難しい部分であるが、個の利害だけを考えるのではなく、時には少し我慢して隣に協力することで自分が豊かになるというシンプルな原則で物事をとらえてみれば原理的には解決の方法に向かうのではないかと結論づけることができる。

社会人1年目の方にしたお話(雑談程度)

本日4/29の祝日ではありましたが、Goodfind卒業された新社会人の方にセミナーでお話したのでまとめました。



織田が1993年に就職してから28年ほどたち、同世代の人達がどのような人生でどうご活躍されたかを身近なサンプルから考察しました。
成功した人(道は様々)は社会人1年目にどのような人たちだったでしょうか?

サンプルは実サンプル(N=400くらい)ではありますが、織田一個人の周囲の人々なので偏りがあり、世の中の一般論ではないことをお含みおきください。

なおこのサンプルは富山中部高校からアクセンチュア、ネットベンチャー電通Gなどで接した人々が対象です。特にこの中の一つの集団である1990年代のコンサル会社は変人の塊でした。私もご多分に漏れずその一人ですが(笑)、この変人集団は様々な成功者がでています。


<Common Factors of Those Succeeded Persons are,,,>

1. 個性的 ( Unique )
2. 開放的 ( Open Minded )
3. 自立 ( Independent )
4. 楽観的 ( Optimistic )
5. 動機 ( Motivated )
6. 健康 ( Healthy )


おもしろいことに、この観察には日系大手で保守的である日本のメガバンクもサンプルで考慮されています。これは大手銀行の60代の先輩からうかがった話なのですが、保守的なメガバンクでも年配になって出世した人には若いときに元気すぎる人が多かったと。彼が言うには若いときに何か他と違ったことをしているちょっと変わった人が結局出世したと。


個性はいつの時代でも武器です。日本や東南アジアの教育は儒教の思想があり礼儀正しい一方で、集団のスタンダードに合わせようとしすぎるあまり個性がなくなる弱点も持っています。
しかし本来これらは対立することではなく、集団としての規律を守りつつも、自分のアイデンティティは忘れずに守ることも大切だと思います。

 

さて社会人1年目ですが、ここは「基礎固め」が大切だと思います。


<基礎固めとは?>


ビジネスのイロハを覚える
約束を守る
コミュニケーションをしっかりする
失敗はする!対処が大切
言い訳をしない
「気が利く」はどこでも使える武器!
遠慮はしない
目立つこと、違うことを恐れない(日系大手でも)
社長になったつもりで仕事する


最初は少し習慣になるまでエネルギーを要するかもしれませんが、慣れると毎日の当たり前になります。


ここでいくつか質問にもあったテーマをピックアップすると、自立することと人に頼ることのバランスが難しいという意見がありました。
確かにその通りで自分でどこまでやり、どこから人に頼るのかは難しい所ですが、1年目で本日ここの来ている人の性質を考慮するなら、人に聞いたほうがよいです。
というのも自分でやっても知識や経験が足りない時はアウトプットは出ません。人に教えてもらわないとできないという状況が多いと思います。それを自分でやろうとして試行錯誤するよりは、分からないポイントを的確に周囲の人に聞いて教えてもらって先にすすめたほうが良いです。人にものを聞きすぎると迷惑ではないか?と思っている人はだいたい迷惑でないことが多いです(笑)。



それと最後にあげた「社長になったつもりで仕事する」という観点は新卒だろうが管理職だろうが全員がその志があれば周囲で起こるすべてのことが勉強になります。
いろいろな部署の人と仲よくなり、隣ではどんなことをやっているのか?ということは一緒に仕事をするときには大切な情報になります。そういう観点で見るなら研修でいろいろな部署を回る会社はその全貌を知る数少ない(多分唯一?)の機会なので、好奇心をもって研修を受ければ多くの情報を吸収できると思います。


後々に成功する人というのは、例えばこのような視座の高いモチベーションを持っている人です。同じ時間に同じことをやっていても吸収する量は全く異なるようになります。

 

<より具体的には>


仕事の早さ>仕事の完成度
相手の期待値を少しだけ上回る
手を挙げて仕事する!
数をこなす
礼儀や常識で減点されないように
メールのレスは世界一早く
「自分」のポジションを見つける
ニッチでも1番になる
万人に等しく接する

 

より具体的にピックアップしたのが上の項目です。ここで特に強調したいのは「『自分』のポジションを見つける」です。
人にはそれぞれ個性がありタイプがあります。野球で例えるとMLBの大谷選手みたいにピッチャーもやってホームランも打ってみたいなのは、本当に理想ですが全員がそうはなっていないです。そのような中で自分の特徴を把握し、どのポジションでやっていくかを決めることは大切です。
野球の世界は試合に出れる選手数が非常に少なく競争も激しい中、みんなが大谷選手みたいになろうとするのは現実的に難しいです。そのような中ワンポイントの左投げのリリーフ投手などが10年以上在籍するという例が多々あります。
「私はこの分野でやっていく!」、「ここではニッチだけど1番で誰にも負けない」。そういう特徴を見つけ武器にするために一生懸命やる人は強いのです。


 

<個人的なアドバイス


細部に神は宿る
凡事徹底、継続は力なり
「個性」という武器を忘れない
言い訳しない



情報も若干多めになったので、織田から最後に4つだけに絞りました。時にイノベーションとか大変革も必要ですが、決まった目標をこつこつやることは実は簡単で最も難しいことの一つです。小さなことの積み重ねは容易に逆転されない最もシンプルで強力な戦略です。

大きなことを成し遂げるには膨大な努力や時間がかかります。例えば英語の習得には2000時間程度必要とされますが、それは少しずつ毎日のように続ける以外の方法はありません。仕事もそういう要素があります。
(ついでに言うと若いうちに英語の勉強をしましょう!)

 

今回質疑応答でも分かったのですが、「失敗」をおそれて質問する方が多いように思えました。しかし失敗は必ずしますし、それはしょうがないことです。
私は自分の意思決定は3-4割にエラーがあると想定しています。10割にすることは原理上無理だし、あまり精度を上げようとしすぎても時間がかかりすぎます。なので3-4割の失敗を計算に入れて、それが起こった時に速く気づいて修正をする準備をしています。

 

最後に野球選手として監督として解説者としてご活躍された野村克也さんの著書から一言ご紹介しようと思います。



「失敗」と書いて「成長」と読む(野村克也


母子家庭のテスト生から三冠王、そして引退してからも名監督、名解説者とのなった「ノムさん」は著書も多く多くのメッセージを若者に残してくれています。
よかったらGWの間にも読んでみてください。


楽天ブックス
https://books.rakuten.co.jp/rb/16301162/

amazon
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8A%E9%81%94%E3%81%AE%E6%8A%80%E6%B3%95-%E9%87%8E%E6%9D%91-%E5%85%8B%E4%B9%9F/dp/4534057881/ref=asc_df_4534057881/?tag=jpgo-22&linkCode=df0&hvadid=342357386046&hvpos=&hvnetw=g&hvrand=6454335455099969618&hvpone=&hvptwo=&hvqmt=&hvdev=c&hvdvcmdl=&hvlocint=&hvlocphy=1009461&hvtargid=pla-912213565650&psc=1&th=1&psc=1

 

PS
本題とは関係ありませんが、最初のお給料をもらったと思いますがお世話になった人に何かプレゼントを送ってもらってはいかがでしょうか?
男性ならお酒でもよいし、女性ならランチにお誘いするでもよいと思います。5月には花の日、6月には父の日があるので恥ずかしい時にはそういう機会をいかしてもよいかもしれません。
ぜひ忘れないようにカレンダーに入れておくと良いかなと思います。(Goodfindの卒業生はこういうことを忘れずに実践する人になってほしいです。)