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『事業創造力』をどうやって身につけるか?

最近スタートアップや新規ビジネスについての社会ニーズの高まりとともに、個人としてどうやってそのスキルをつけるのか?と話題になることが多くなってきました。

私はいろいろな国のビジネススクールでスタートアップの戦略の講義を行っておりますが、正直「事業創造」は教えることが難しい分野だと思います。私自身もなぜアイディアや発想が自分の頭からでるのか、それを説明することはできません。市場の規模やマーケティングファイナンス(資金調達)のことは教えられますが、想像力や発想のところだけは自分も言語を使っていないので説明しようがないのです。

よく事業戦略はリサーチをして戦略を立てて、それを実行する!という正論はかっこよく聞こえますが、少なくとも多くの事業を経験した自身の経験と、またコンサル等で身近な事業をつくる現場を長年見た経験としては、そのように机上の議論でしっかり計画し、それがそのまま実行されて成功したというシーンは、ないとは言いませんがかなり稀なケースであると思います。


そのような状況でも、いったんサービスみたいなものが見えてくると、それを改良したり顧客がどこにあるか明確にしてターゲットを絞ったりすることはできます。しかしゼロの状態から作る時にはとにかく何も見えない状態で、しかも何でもやってよいという中で何を選択するのかはかなり難しい問題であることは確かです。

少なくとも初期における商品設計(プロダクト・デザイン)は見つけるときには難産になることがあり、いったん作ってみたものの全く市場で受け入れられなかったりとか、全く儲かる方法が見つからなかったなどということは実はよくある話で、その中から試行錯誤してだんだん売れるものが見えてくるというパターンが非常に多いと思います。



そのような状況ではありますが、プロダクト・デザインを創る時のいつくかのパターンも分かっているので、本日はいくつか紹介しようと思います。
 *特に網羅性はないです


(1)既存の市場に対してサービスの提供の仕方を変える
オフラインからオンラインへのシフトなどがこれにあたります。市場が元々あるので比較的パターン化して類推しやすいため多くのプレーヤーが参入するため差別化は難しく、資本力、またはスピードの戦いになります。

(2)地域ごとの情報差を利用してオリジナルを他の場所で土地でコピーして早期実現する
いわゆる「タイムマシン戦略」がこれにあたります。インターネットの黎明期である1990年代の日本のサービスはこれが多く、それで地位を築いたのがソフトバンク孫正義さんです。
彼はUSのネットサービスをライセンスとともに日本に導入して、yahooなど現在も残る日本の中核となるネット企業を育てました。


(3)ユーザーを早期に囲い込みそのユーザーが欲しいものを他から取ってきて加える
インターネットの多くの企業が取る戦略がこれで、例としてはLINEなどのSNSが挙げられます。ユーザーを囲い込むためサービスを無料にしてとりあえず使ってもらい、その後ユーザーに対して商品を売り込んだり広告を無理やり見せたりして後とから収益化することを計画します。


(4)アナロジーを使い近いビジネスを少し改良して焼き直しする
基本のビジネスの仕組みを理解して、それを少しだけ改良してコピーする戦略で、こちらも結構ポピュラーです。これには抽象思考能力が必要で、要は本質的に何をすれば機能するか?という原理原則を把握し、その原理を具体事例に当てはめていく方法です。


(5)未来の生活や姿を想像する
これはドラえもんの世界です。実際にドラえもんは真面目に見るとかなりイノベーティブな作品で、「どこでもドア」、「タイムマシーン」など、こういう発想力が事業にもかなり役立つと思います。

実際に私もビジネススクールの事業でも、プロダクトが見えない時には映画館に行くとよいよ、と真面目に話をしています。理論上とか市場の可能性とか、あれこれ教室で考えるよりはSF映画でも見たほうが想像力が活性化されるようにも思えますがどうでしょうか?



色々見てきましたが、新しいものを見つけて創ることは簡単ではありません。最近はこのようなニーズの高まりから想像力を伸ばす「デザイン・シンキング」という分野も人気が出てきて、ビジネススクールなどでも学ぶ人々が増えています。


ただし私見では「想像力」を学ぶということは、言語を使って理論を学ぶこととは全く異なった難しさがあると思います。
その方法については現在も模索中ですが、最近のfMRIを使った大脳生理学や臨床心理学など科学の検証などで分かり始めたヒントを以下で共有したいと思います。


◆想像力は遊び心より生まれる
◆アイディアは集中していない時にふと生まれる
◆論理では導けないものがある
◆体を動かしていたり何か違うことをしている時に生まれることもある
◆考えつくしていったん忘れた後にふと湧き出てくる
◆適度にリラックスした状態が生まれやすい(お風呂、散歩)



このような状態で仕事をできるとよいのですが、なかなかオフィスの中でリラックスしてふらふらしていることは正直やりにくいと思います。普通に見れば遊んでいるように見えますが、まさに遊んでいないとアイディアが出ないのであればオフィスに来てはいけないということになってしまいます(笑)。

多くのいわゆるエリートたちの良くとるアプローチで受験勉強のようなやり方をしていては難しいというのが正直なところです。
いろいろプレッシャーがあったり、規則が厳しすぎたり、厳格すぎる社風だったりという場所からは確率的に難しいという科学の結果を受け入れる場所が必要であり、ある意味GAFAなどはきれいなオフィスでそういうことを目指しているということを認識すべきだと思います。(彼らも実現にしているとは限らない)


Goodfindでは分析で使う「ロジカルシンキング」が講座になっていますが、これからはこれとは対極的な「クリエイティブ・シンキング」の講座も今後充実できれば良いかなと考えています。
前のほうでも少しのお話ししましたが、「想像力」については科学の研究も進んでいますので、また機会があればお話ししたいと思います。

(新春の雑感)ポストコロナ2022年の世界

いつの間にか毎年年初に、これから迎える1年について雑感を書くことが習慣になりました。本年も主要なテーマに対して、徒然なるままに書いてみます。
 
***長文注意***(約9,000字)*ヒマなときにどうぞ!
*本文は信頼できる情報をもとに書いていますが、ほぼ記憶のみから作成しているので正確性や内容の判断はご自身でお願いいたします。
(誤解、誤認、誤植についてのご指摘は大変うれしいです!)
 
(参考、昨年の記事はこちらへ)

=目次=
(1)コロナに飽きてきた人々
(2)急回復する世界経済と続く混乱
(3)世界規模ですすむ国内の分断(=二極化)
(4)進むグローバル化と才能の争奪戦
(5)急速に変わる大国中国
(6)我々はどうしよう?

 

(1)コロナに飽きてきた人々

人類が世界規模でのリモートライフを始めて昨年は2年目となります。私も2020年3月から名古屋での在宅勤務となり、もうあと数か月でまる2年になります。
昨年はリモート2年目ではありましたが何度もクラスターが各地で起きて、人々の行動は一部国内での活動は再開したものの大規模なイベントや国境をまたぐ移動は制限された状態でした。

東京オリンピックもなんとか自国での開催はされましたが、選手や関係者以外は来日できず、かつてないような厳戒態勢のまま実施されています。それでもこの状況下で制限がある中、計画通り運営されたという点で政府をはじめ関係者の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

その後、移動制限が少し解除され国内の移動ができるようになり、部分的に元の生活に戻りつつあります。都会に行けば朝夕のラッシュ時間には人が満員になりオフィス街にも活気が戻ってきました。
学校の授業や課外活動もマスクや手洗いとうがいを徹底したり、観戦者数を制限するなどをしつつもだいぶ元通りになってきました。これは成長過程である子供たちにとって心身ともにとても大切なことだと思います。
大学や研究機関なども人々が集まって活動できることになり、止まっていた一部の活動も再開しています。しかしながら国境をまたぐ物理的な交流はまだ制限されたままのところが多いので、早くこの部分も回復することを願うばかりです。

今後についてのコロナの見通しですが、現在は変種の出現に一喜一憂している状態です。コロナのウイルスはインフルエンザと同じmRNAタイプでどんどん変種が発生します。変種したものがどれくらいリスクがあるかは変異は基本的にランダムなので予知できませんが、ワクチンを打っていれば新しい変種に対しても一定効果は見込めるというのが医学的な意見のようです。ただし変種がどのようになるかは予断を許さないので、今年1年も当面は渡航制限や水際対策が時々行われ、緩めてはまた感染者が増大ということを繰り返すことは避けることはできないと思います。

そういう中ですが、コロナ自粛生活3年目に入り一部の行動も緩和されることで人々も元の生活に戻りつつも、戻らない新しい変化もあると思います。
例えば、すでに田舎に引っ越ししてワーケーション(=働きながらバケーションをとるような生活)を行っている人たちは私の周りにもたくさんいます。
ある方はご夫婦でメキシコに住んでいて日本とITの業務委託の仕事をしています。またあるエンジニアの方は日本の梅雨の気候を避けて雨期にドバイに行き日本のシステム開発の受注の仕事を砂漠の国で行っていました。

私も最近2年間は海外出張が全くなくなりましたが、海外大学の講義とオンラインでの講演の機会は非常に増えました。またグローバルなプロジェクトが多くなり時差さえ調整すれば国境は全く関係ないことを実感しており、現在も仕事の多くを海外の方と行っています。

おそらく今後はオフラインとオンラインの両方の良いとこ取りを模索すると思います。それと同時にそれぞれの短所も認識しておかないと物事を要領よく進める人がいる一方で、悪い面による害が多くなるケースも出てきます。
例えば、リモートワークの欠点として以下のものが考えられます。

・体力が落ちる。特に下半身や体幹の筋力と心肺能力
・精神的に不安になることが多くなる
・経験のシェアがしにくくなる
・人との接触が減り孤独感が増える
・自分が遅れている、もしくは世間一般から外れていても気づかない
・新しい経験が生まれにくくなる
・生活面での刺激がなくなり目標を失う
・家族とのトラブルが以前より増える
・・・

(参考)

今年2022年はコロナ3年目の生活となり、これまでの経験から良いところと悪いところを精査しながら、上手にmixしていくとしてあると言えると思います。


(2)急回復する世界経済と続く混乱

iPadが在庫切れのままです!新車が納車できません!マクドナルドのポテトがSのみです!NBAの有名選手が試合に出れません!

世界経済は急激に元に戻ろうとしていますが、まだ感染拡大防止策により、元通りにならない現実があります。人々が仕事に戻り需要が急速に回復しつつありますが、供給(サプライ)するためのオペレーションは行動制限により元通りには戻っていません。物流不足から資源を中心に価格が上がりインフレ傾向になっていますが、皮肉にも近年デフレに挙げぐ日本がようやくインフレターゲットを達成しそうな勢いです。
しかし中身を見てみると景気過熱によるインフレではなく海外の資源高から来るサプライサイドでのコストプッシュインフレのため、1970年代のアメリカに見られた”スタグフレーション”(インフレでかつ景気が悪い)の懸念も出ているのであまり良い状態とは言えません。
経済政策のセオリー通りに進めるならアメリカがまず引き締め策として金利を上げ、景気回復に水を差し人々から失業などの文句が出る筋書きが考えられますが、幸い日本は人口構造上労働力の絶対量が不足しているため、国全体としての失業の心配は他国と比較すればそれほど大きくありません。もちろんローカルな飲食業や観光業は依然厳しいままですが、国全体としては世界で最も失業の心配がない国の一つです。

一方,、実経済に目を移すと、世界各地でのサプライチェーンの混乱は地政学リスクにつながる可能性を含んでいます。例えば半導体不足は自動車なども含む多くの主要産業のネックとなり、その生産地である台湾と韓国とどのように付き合うかを考える国がでてきます。

また今後の世界経済の成長を考えると資源の確保や流通ルートまで考えた地政学的な観点での行動も考えられます。地域の併合や、既得権益を取るための対外投資、そしてTPPやRCEPなどの閉鎖的な経済ブロックなどが典型的な動きで、これが激しくなると元々が経済的動機であったものが軍事的な行動につながるリスクがあります。
具体的にはコロナでいったん休戦になっていた世界の再編成も進み、経済的に弱い地域を強国がオセロのように取り囲んでいくという”きな臭い”世界の側面がでてきそうです。
地域紛争が生まれそうなのは近場の台湾をはじめ、イラン、トルコ、ウクライナパキスタンパレスチナなど今年は動きがあるかもしれません。


経済成長はIMFの予測によれば、2021年の世界全体のGDP成長率は予想で5.9%と前年の-3.1%から大きく回復しています。コロナ前の成長水準がだいたい3%程度なので、数字上は2021年で2020年の損失分をほぼ埋めた結果となっています。

(参考) 世界のGDP成長率 *IMF発表
2018年 +3.6%
2019年 +2.9%
2020年 -3.1%
2021年 +5.9% *2021年10月予測
2022年 +4.9% *2021年10月予測

(世界経済見通し 2021年10月(IMF))
2021年はこれだけ移動制限があったにもかかわらず、GDP成長率5.9%を達成したということは悪くない結果だと解釈しています。そういう意味では「withコロナ元年」ともいえる2021年で社会や経済は市場のニーズにより適応してきたと言えるのではないでしょうか。


(3)世界規模ですすむ国内の分断(=二極化)

”既得権 vs 新興企業群”の戦いが本格化します。より具体的いえば、「各国に政府 vs GAFAM」、または「中国の巨大IT企業群(BATなど) vs 共産党」の構図です。
巨大企業たちの資金力や独占するデータ量は膨大で政府も部分的には上回ります。個人の情報が解析され本人以上に本人の嗜好が分かるということもすでに起こっていて、Instagramfacebookなどは勝手に自分の嗜好性を判断して広告なりコンテンツを提供したり、個人の購買履歴などから信用スコアを出したりしています。

これらの独占する新興企業の特徴は個人のデータを独占し、すべての取引のプラットフォームになることで、日常生活のインフラになっており、もはやそれらなしでは生活が成り立ちません。こうなるとその影響力は政府をも超える可能性が出てきており、時に思想統制や国防上の理由からそれらを制限しざるを得ないということも出てきました。

例えばアメリカ大統領選挙やコロナに関する発言の制限は、言論の自由という理想からは大きく離れており、もしかすると必要な情報が統制者の利害で統制されている可能性もあります。
現在の世界が怖いのはまさにこの点で、情報統制をすることで人々の誘導や洗脳、もしくは図らずの混乱が生まれやすくなっていることです。実は全くのフェイクニュースがあたかも本当のことのように扱われて世界中に広まったりとか、無視できるような規模の話が世界全体の大問題のように扱われるとか、本能的な感情のみで実態を判断するとか、全体で考えるとかなりおかしなことに右往左往することが多くなります。

そのような状況下で、「情報の持ち主」をめぐって争っているのがこの「旧勢力と新興勢力」の争いであり、どちらが主導権を取るかにより国を支配するパワーバランスが変わります。
国が情報を持つことがいいかというと必ずしもそうでもなく、歴史を見ても悪い独裁者は情報操作をしながら人民を操り自分の身内の立場を守ることは現代でもたくさんあります。それは途上国に多いかというと実はそうでもなく、先進国でもむしろそちらのほうが普通とも言え、例えば情報をもっているお金持ちがプライベートカンパニーを使って情報操作をして政権に影響を与えるというのはアメリカではどちらの二大政党もそうなっています。

旧勢力は既得権益だからそれを守るため規制をして新興勢力を締め付けている、という見方はある程度正しいですが、新興勢力のほうだってIT企業群は独占により自分たちは巨大化していますが、取引先とはフェアでない条件で搾取している時も多々あり、新興勢力の中の一部の企業群だけが総取りをし他の企業が隷属状態になっているということあり、どちらが良いとも一概に言い切れません。

ただ確実に言えるのは支配層をめぐる戦いの中で、そこに参加していない人々は蚊帳の外でどちらが強くなってもあまり得することもなく、域内格差だけが大きくなり、それが代々続き固定化される状態が継続されます。
日本にいると公的な社会階級というものがほぼ見えませんが、欧州やアメリカの有名大学や会社に行けば明らかな見えざる違いが見えてきて、それが社会の分断を大きくしていくことが予想されます。

 

(4)進むグローバル化と才能の争奪戦

これから特に日本国内で起こることは、才能のある人材の取り合いと給与の高騰です。特に報酬面ではこれまでの年功序列が完全に崩壊し市場価格にあった収入に近づいていき、より具体的に言えば能力のある若者の才能を取り合い報酬額が高騰し、価値を出せない人たちの給与水準は下がります。
これまでもエンジニアが典型ですが、企画力のあるプロデューサー、採用力のある人事経験のある方、ネットプロモーションのスペシャリスト、資金調達のプロフェッショナルなどは標準的な日本の年功序列とは異なるインセンティブがありましたが、これが加速します。

現在に残る日本の報酬システムは実は本当に活躍している人にとっては良いものとは言えませんでした。実力主義、実績主義と言い給与に差をつけると言いながら、煩雑すぎる評価システムや、周囲とのバランスを考えすぎる調整心理、それに何よりも変わらなければいけないのは年功序列の給与体系がほぼそのまま残っていることが才能を獲得することの大きなネックになっています。

職業柄、企業の採用活動と個人の求職活動を両面から多数見ていますが、企業側からは「良い人が採用できない」、「良い人はすぐ辞めてしまう」。個人側からは「会社が面白くない」、「良い会社(ポジション)が見つからない」というのは昔からよくあることですが、20年ほどの間でギャップはますます大きくなってきているように思えます。

究極的に整理するなら企業側も個人側も、「完全実力主義ーーーー安定そこそこ志向」の間の選択もしくはミックスしたものになると思います。それを選択肢として残したうえで、双方の合意をとれることが着地点です。
(もちろん、そんなに簡単ではないけど)

これだけ労働力や才能が必要になってくると、海外人材を求める機会は当然多くなります。

しかしながら

「日本語ができる外国人でないとダメ!」

とか言っている会社多くないですか。。。

この時点でこの会社は世界の人材を獲得する確率はほぼゼロにまで下がります。もちろんベトナムやネパール、中国や韓国など日本に多くの留学生を送っている国の方は採用できますが、それ以上になることはほぼ期待できません。

この点でもポジティブに解決方法を考えるなら、英語ができて論理的に話を整理できる日本人をブリッジマネージャーとしてたくさん育成し、彼らが日本と海外の橋渡しをするという構造にはできるかと思います。
ここでのネックは何かというと文化と価値観の違う海外人材と日本の間に入って調整する能力がかなり難しいということです。言葉の壁は英語だけでなんとかなりますが、要求水準が高い割には要件定義をころころ変える日本企業側をなんとかしないと、板挟みとなった人材は数年後にはいなくなってしまうのは目に見えています。

また雇用条件についてもグローバルスタンダードに近いものを用意する必要があります。まず資格やスキルのある人に対しては市場価格を提供しないとそもそも優秀な人は候補に挙がってきません。日本の給与システムは全般的に平均値にならして作られているので、現在も基本は年功序列です。それ自体は不自然なことではなく、当然ながら経験が長くなれば一般にスキルも付き業務に対しても習熟するので当たり前ですが、その差のつき方が平均値にならしてあるため、できる人にとっては報酬額が低すぎ、できない人にとってはもらいすぎという状態になっています。

特にある程度スキルがあり日本語も流暢な外国人専門家に対しては、日系のほぼすべての会社は適切な給与水準を提示することはありません。例を挙げると日本語ができて日本で5年以上働いているインド人専門家は年齢にかかわらず年収は1500-2000万円が下限ですが、それを提示できる日系企業はあまり見当たりません。ちなみにですが、最近は円安といこともあり円ベースでの提示はより彼らには魅力的に見えません。

参考までに外国人から見た給与水準のオプションは概ね3種類あります。

アメリカやヨーロッパなどで日本の倍くらいもらえる
②日本でちょっとだけ多めにもらえる
③母国に帰ると日本の何分の1かになる。

①の選択肢のある人は、②を選択しないのはあたりまえですよね。
真剣に海外の採用をしたいと考えているなら、その前に自分達をいつまでも先進国で殿様のように待っていれば人が来るという考えから脱却すべきだと思います。


(5)急速に変わる大国中国

本当は急速でもないのかもしれませんが、日本にいてみている範囲では急速であると感じるくらい最近は変化があります。

こちらについては私よりも現地に10年以上いて体感しているコンサル会社元同僚の沢登さんのリンクが参考になります。

沢登さんの記事)
https://www.facebook.com/hideaki.sawanobori

中国は最近10年間ほどは経済成長がスローダウンしたことで、成功する人たちの割合が減ってきました。これまでは高度成長の良い面で悪い面を覆い隠すことができましたが、そうでなくなった現在は、例えば経済スローガンとしても「量より質重視!」というようなトーンに代わってきています。
ところが人々としては、大成功を夢見て受験なり起業なりで頑張ったものの、それが大きく報われないのであればやってらんない!という風潮が増えてきました。
実際にここ数年では白けた若者たちが「寝そべり族(躺平)」となって努力もしない、働かない、だってどうせ成功しないから。そういう人たちが増えて、もう統制もできない状態になっています。

(coureirの記事より)
急激な台頭に政府もピリピリ?
中国の若者に広がる「寝そべり族」  向上心がなく消費もしない寝そべっているだけ主義

https://courrier.jp/news/archives/248461/


中国における若い世代は、ある程度国が裕福な状態になってから生まれ大切に両親や祖父母に育てられた若者が多く、彼らは1世代前のハングリーな中国人とはかなり考え方や気質も異なります。 礼儀も正しく、丁寧で、努力家で、少なくとも私が会っている人達は日本にいる方や高等教育を受けた人が多いのでかなり偏った集団であるとはいえ、とにかく良い方たちが多いです。
中国の人を分けて考えるとき「80年代」、「90年代」、「Z世代」など生まれた年で特徴づけることが多いのですが、その10年単位の分類でも違いが分かるくらい人々の行動変化は大きいです。

そして現在高度成長が終わり、安定期に入り、都市部の人々もある程度裕福になり、インターネットでいろんな情報も入るようになった中、中央政府である共産党は民主主義以上に民意を考えざるを得ない状況に置かれています。
やはりその背景としてはインターネットの存在は大きく、中国なら情報統制できるだろうというほど簡単ではなく、たしかに都合の悪い情報を物の数分くらいで消されますが、さりとて数分あればどんどんリツィートのような形で拡散し、だれかが中国外に投稿した段階でそれは消せないものとなってしまします。

そのような状況で国の統制者が考えることと言えば、「悪者を作る!」ことが常套手段で、海外に敵を作ることが国としてまとまるには一番都合が良いわけですが、さりとてこれだけ多くの中国人が留学し現地の生の情報を身内のネットワークで共有する時代では、反日教育が全く効果がなくなってことでもわかるように、それもかなり難しくなっています。

このような状況下で行ったのが、過去の政治不正についての粛清と、大きくなったIT企業の魔女狩りだと解釈しています。
共産党は国内のすべての情報を検閲と加工できるので、ネットでの言論統制はしやすい立場にあります。それを最大限利用して、これまで成功者のロールモデルだったBAT(Baidu、Alibaba、Tencent)らを標的にしました。
彼らは彼らで自分たちが共産党以上に影響力があるので、体制に対しても意見をすることもでてきました。これらの複雑に絡む利害の中で現在上手に自分たちに有利な状況つくるべき模索していると想像されます。

また国内格差の問題も残っています。一昨年共産党トップがまだ国内の地方に貧困層が多くのこっているとの発言もありましたが、その格差は縮むどころか広がるばかりで、眩いばかりの北京や上海とくらべ、地方はまだまだ農業や工業中心の貧しい中国がそのまま残っている個所が多くあります。

 

都市と地方の格差、都市部の貧富による教育格差、厳しい受験戦争とその後のキャリアの厳しさなど、人々の差がインターネットというプラットフォームで隠せなくなった現代で、どのように思想統制と民意のコントロール、そして経済政策や対外政策をとっていくかという非常に難しい状況に置かれている、いわば悩める14億の大国の行き先は慎重に見守る必要があると思います。

 

(6)我々はどうしよう?

さて多くの語りすぎて、まとまりがなくなってきましたが(笑)、最後に今年やったほうがよいかなということを唐突ですがいくつか挙げてみようと思います。

*こちらは勝手なつぶやきくらいに考えてください。

 

・やっぱり英語勉強しよう!情報取集、ネットワーキング、新しい刺激には必要!

・「情報リテラシー」をつけよう *フェイク情報から身を守り正しく判断

・ネットでの自身の存在を確立しよう!

・運動不足にならないように良い習慣を身に着けよう

・旅にでよう!バーチャルでもよいと思います。でもバーチャルのほうが難しい

・一つでよいから自分の今年のテーマを見つけよう

・今までと違った人たちと接するようにしよう 多分世界が変わるはず

・自分の考えを文章にまとめよう そしてできれはブログやnoteに公開しよう

・新しいことに挑戦しよう

 

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

(2022/1/13)。。。

在宅ワーク2年目で見えてきた課題

2020年の3月から現在まで2年弱の在宅勤務を送ってきた中、良い点や悪い点、課題などが見えてきたので自身の備忘とまとめのためにこちらに記事にしました。
 
良い点と悪い点について、ざっと一般的なものを列挙すると以下のようになりました。
 
<良い点>
ミーティングは効率的に30分単位で切り上がるようになった
移動する時間がなくなった
通勤もないと非常に楽である
家庭の時間が増えると家事はしやすい
小さな子供がいる家庭は送り迎えなどしやすい
地方に住みながら都会の仕事ができる
外国にいても仕事はできる
海外との交流も多くなる
様々なwebinarに参加することができる
自炊で健康的な食生活を送れる
様々な点で自由度がふえる
 
<悪い点>
運動不足になる
気分が晴れないことが多くなる
家庭にいることで家族の仲が悪くなることもある
人恋しくなることがある
新しい情報が入らなくなる
新しい出会いも生まれにくい
仕事の範囲が非常に限定される(活躍の場が減る)
他の社員、とくに違う部署の社員のことを知らない
目の疲れと肩こりや腰痛がひどくなる
全身の筋力と心肺機能が衰える
SNSを活用しないと仕事以外では孤立する
 
 
このうちいくつかの点をピックアップしてみたいと思います。
 
<良い点1>仕事が効率的になった!
 
ミーティングは最短だと15分とかで終わるようになりました。
特に社内のミーティングはどんどん短くなり、結果として労働時間も短くなった傾向があると思います。
クライアントとの打ち合わせも、以前であれば例えば自社から30分で移動して1時間話して30分かけて帰社するとトータルで2時間かかりますが、これが30分で終わるなら生産性は4倍になったことになります。
また海外とのミーティングはもっと効率的で飛行機に乗って移動してホテルに泊まって、、、ということが一切なくなり、国内と同様30分という単位で終わるようになりました。
 
<良い点2>家庭の時間が増えた!
 
これまで通勤に時間を使ったり、朝早く出たりすることがなくなりました。自宅で家族といる時間が増え、子供やお年寄りの世話をすることも可能になりました。特に小さなお子さんがいる家庭では送り向かいがお母さんとお父さんのどちらもできるようになったことは、大変革といってもよいのではないでしょうか。
それと家で家族で一緒にご飯を食べる機会が増えたりとか、少なくとも一緒にいる時間は確実に多くなりました。
 
<悪い点1>極度の運動不足で体調が悪くなったり、不機嫌になったりする!
 
私は普段名古屋の自宅で仕事をしていますが、10月から時々東京に出てオフラインで人と会うようになり特に感じたのは、全般的な体力の衰えです。
物理的に移動する距離はFitbit(デジタルウォッチ)の万歩計を見れば明らかですが、在宅勤務の時とオフライン生活では倍くらい歩く量が変わります。
都会を一日歩いていると、大したこともしてないのに夜になるとかなり疲労感を感じたときには、これはちょっとまずいぞ思いました。
 
普段は週2回のジムと週末のテニスをしているのですが、それでも体力が維持できないのはそれ以外の時間にあまりにも座っているだけで体を動かしていないからと想像されます。
 
 
<悪い点2>新しい情報が入ってこない!
 
オンラインで多くの業務は効率的になりましたが、一方で新しい情報や人から受ける刺激の量が対面と比べて圧倒的に少なくなります。
普段の仕事はオンラインは効率的ですが、新しいことを始めたり、スキルや知識の移転だと、そこは対面のほうがよいことも多々あります。特に形式的でない知識や言葉で表現が難しい仕事の哲学みたいなものは一緒にいてなんとなく温度を感じながらのほうが肌にしみこんでいく感覚があります。
 
そういう意味では在宅勤務で最も困るのは若い社会人の人たちです。まだ学んだり覚えることが多い時に最小限の業務を行い、また教育も指示もフィードバックもオンラインだと情報が少なくなります。
例えばうまくいかない時に、オフラインであればちょっと聞いたり手を貸してもらったりすることすぐに憶えられることも、一人だといつまでもできないまま悩んだり、失敗した時に一人で落ち込んだりしても誰も気づいてもくれません。
 
実際に2020年には多くの人からキャリアの相談があり、仕事がうまくいかないとか、今の仕事にモチベーションがなくなってきたという方がメッセージを送ってきていました。
 
 
最後に上記の悪い点を解消するために、以下のことが良いのではと思います。
 
 
<今後のワークスタイル(案)>
(1)オンラインとオフラインをうまくmixさせる
基本業務はオンラインで効率的に。ただしプラスアルファの知識や新しいネットワークのためには定期的に人と直接会うことも大切。
 
(2)運動を定量化してモニターする
AppleWatchやFitBitを使えば運動量や体調をモニターできるので、しっかり数字で歩いている量などを記録すると目標管理によいと思います。
私は個人的に健康維持のためには一定時間外に出て太陽にあたって歩いたリスことは仕事にとっても必須だと考えています。別にそれがなくとも普通のことはできますが、より創造的になったり、長い間よいコンディションでいるためには、身体の健康は頭脳のためにも必要です。当たり前ですが「食事・睡眠・運動」の自己管理をしっかり行うことがより重要になってくると思います。
 
(3)ネットで人と出会ったり交流するスキルを磨く
慣れれば多くのことはオンラインでできるようになるはずです。それには少し時間がかかるかもしれませんが、それができるようになれば、効率性ではこちらは強みになります。
SNSの利用やwebinarなどへの積極参加により、どんどん自身の世界を広げることができれば、その可能性はオフラインの世界よりもはるかに大きくなります。
特に若いビジネスパーソンはどんどん積極的にいろいろなところに出かけていかなければなりません。そうしないと将来の成長機会が失われるので、今の目の前のことが終わったら仕事終わりでは将来伸びしろのない人になりがちです。
 
(4)仕事とプライベートのバランスをはかる
在宅勤務では場所が同じなだけに公私の切り替えが難しくなります。そうなるとプライベートでも落ち着かなかったり、反対に仕事の時にやる気にならなかったりするので、時間でくぎったり、場所を分けたり、PCやスマホのアプリをオフにするなど切り替えが上手にできるようなルーチンなど持つことが大切です。
 
 
 
これらのことも、もうあと数年たってオンラインの生活が当たり前になれば、心理面での不安などは徐々に解消していくと思います。新しいワークスタイルは決して悪くないと思いますが、時々その長所と短所を考えながら自分に適したことを見つける時期であると思います。
 
 
 

好きなことか?得意なことか?

会社や仕事を選ぶときに、
 
「好きなことか、得意なことかどちらを優先すればよいですか?」
 
という質問をよく受けます。
直球の回答は、
 
「それは両方大切です!」
 
Goodfindでロジカルシンキングをやっている先生の立場で、少しおせっかいにこたえるのであれば、「好きなこと」と「得意なこと」は別の軸で、どちらか一方を選ぶと他方が犠牲になる物ではありません、と言います。
 
もう少し理系オタク的な表現をするのであれば、それは2つの独立した変数をもつ時の”最適解”問題です、と説明します。一般的な言い方をすると「好きなこと」と「得意なこと」にはそれぞれ独立しており、数字の大小のグラデーションがあります。その中で自分がバランスをとって最も良い”組み合わせ”を選びましょう、ということになります。
 
では次に別の質問に行きましょう。
 
「好きでないけど得意なこと」と「好きだけど不得意なところ」はどちらがよいですか?
 
これはベクトルとしては反対向きになるため、両方同時には成り立ちません。
ここには「好きなこと/好きでないこと」、「得意なこと/得意でないこと」の2軸が存在しています。
 
つまり4通りの分類があるわけで以下のようになります。
 
(1)好き かつ 得意 =>全く問題ない!
(2)好き かつ 得意でない =>どうしよう??? 
(3)好きでない かつ 得意 =>どうしよう???
(4)好きでない かつ 得意でない =>そもそも問題外!
 
このうち微妙な(2)と(3)の選択となった場合にどうするか?ということですが、結論はある程度これまで多くの人を見てきた統計的な結果からフィードバックできます。
 
結論は「好きで、かつ、得意でない」ことを選んで、それで得意になっていくか、別のものを見つけるようになる、です。
 
「得意だけれど、好きでないもの」を選んだケースは途中でやめます。やはり人間、本能には正直なもので、短期なら我慢することもありますが、10年20年と好きでもないことをするということは、”統計系に”ほぼありません。
 
*”統計的に”という意味は、多くの場合はそうなって、例外もあるかもしれないけど少数である、ということです。
 
私は多くの人に対して、立場上進路などの相談を受けることが多いのですが、自分の進路は自分の好き嫌いで決めてよいと言っています。だって将来の保証もないののつまらないことをしていても、おもしろくないでしょう?
 
ただ注意してほしいのは、そうなると刹那的に好きなことばかりやっていていいんだな!とは解釈しないでください。仕事はある程度安定して収入を得るという目的があるはずなので、そういう意味ではちゃんと社会で貢献できる分野で得意な分野を見つけるということは、別軸として存在します。
 
最後に一般化してまとめると、「好き/好きでない」、「得意/得意でない」など選択にはいくつかの軸があり、論理的に考えるのであれば、そういう軸は複数あることが自然で、その中で納得できるものを探していくのがよいと思います。
 
続きの話が聞きたい方は、以下のセミナーでお話しするのでよかったらお越しください。
 
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フェルミ推定と数理モデル

最近、就活でよくでてくるフェルミ推定とは、どういうもので、どうやって説くのか?
今回はこれについて簡単にお話します。
 
これは科学の研究の言葉で表現するなら「数理モデル」を作るという行為と同じです。具体的には、対象となる事象に対して、注意深く観察し、いくつかの特徴となる変数を複数みつけて、それらの関係を数式などで記述します。
 
例えば以下のようなものが数理モデルの例で、これは自然科学だけでなく人文科学や社会科学でも同様にでてきますから、理系だけというものではありません。
 
例 
人口の増え方から将来の需要を予測する
細胞分裂の速度とそれを決定する要因の関係を特徴づける(温度、濃度、PH、、、)
今年のインフルエンザの患者数を推測する
20年後の地球の気温を予測する
死亡率や出生率から生命保険の料金を試算する
デリバティブの商品を作りリスクを軽減する
・・・・
 
上記はどれも、本質的に現象を決定するパラメータ(変数)を見つけて、それらを使った近似式を見つけ、説明したり予測したりすることをしています。
 
フェルミ推定はそれが就活という場で、市場規模だとか売り上げ予測という形で出てきます。これは特別新しいことは何もく、メルカリの売れる価格の予測など身近なものと全く変わりません。
したがって、実験室もしくは市場調査など日ごろの研究などで行っている思考法をそのまま使えばいいんです。
 
ではいったいどうやって数理モデルをつくるのか?一般論は以下に簡単に説明しますが、たぶんいくつかやってみたほうが早くなれると思います。
 
総じてそのプロセスを一般的に解説するならば以下のようになります。
 
(1)数値で現象の結果を決めるもの(変数)を複数みつける
 
気温、湿度、株価、人口、生存率、、、
 
(2)複数の変数にはなんらかの関係を見つける
それは独立変数/従属変数のこともあれば、相関関係があるもの、因果関係があるものなどさまざま
 
(3)複数の関係のある変数を数式で表現する
 
(4)そのモデルをもとに現象を説明したり、将来の予測を行う
 
 
なんか書き上げてみても、きわめて当たり前ですね(笑)。
フェルミ推定なんて、そんなものです。
 
 
就活という文脈で見るのであれば、いくつかの点で難しいところもあります。まず時間が短いです。5分とか10分で自分のなじみのない数字を試算させられますが、全く知らない分野ということも多々あります。
 
普段は実験室でDNAの解析をしているのに、突然市場規模を聞かれても、最初は戸惑いますよね(笑)
 
ですが、市場とか売上高とかは慣れると、因数分解のパターンが少ないので、何題かやってみるるとよいと思います。
 
例えば
 
コロナの影響で全国のラーメン屋はどれくらい売り上げが落ちたか?
日本のアイスクリームの市場規模は?
中国のスタバの店舗数は?
 
「顧客」という視点で見て、それを「地域別」「年齢別」「所得別」などで分けてみると、多くのケースをカバーできると思います。ちなみにこのように「顧客」をある特徴で分けることをマーケティングでは「セグメンテーション」といい、分けられたそれぞれのことを「セグメント」という言い方をします。
 
例として最後の「中国のスタバ」の店舗数について考えてみましょう。
知識として分からない部分があれば、それは自分の想像で埋めてみてください。
 
これを考えるにあたり、中国のスタバに関する情報をまず集めましょう。
 
・中国にも都会を中心にスタバがたくさんあり、若者に人気がある
・単価は日本より少し高い
・中国は14億の人口がある
・中国の都会である北京や上海には東京並み、または東京以上にスタバがある
・中国の若者はネットが好きで、スタバの写真を上げる人が多い
・スタバの競合のコーヒー店もたくさんある
・・・
 
考え方としては何通りかあると思います。それは自分の知っている知識によりモデルが異なるのは自然なことです。
 
例えば
 
日本との比較で考える
*日本の店舗数は**だから中国はこれの**倍(または*分の1)
人口当たりの店舗数で求める
*都市単位、または国単位
大都市と地方を分けて、それぞれの都市で平均どれくらい店舗があるか試算して合算する
*日本でもスタバは都会と田舎では数が違うことを考慮
世界のスタバの店舗数から中国のシェアをもとめる
*全世界で**店舗だから中国では**店
 
 
これらの中から自分が最もモデルを想像しやすいものを用いればよいですが、あくまで実際の現象とモデルが対応していないと数字は合わないので自分勝手ではだめです。
 
それと数理モデルでは、あくまで「数字」を試算するためのモデルなので、数量が分からないただの因数分解みたいなものは、その要件を満たさないのでダメです。
 
例えば中国のスタバの店舗数を求めるときに、「人口当たりのスタバ数」に14億の人口をかければ答えは求まりますが、「人口あたりのスタバ数」を適当に入れる場合は全く実態を見ていないので、ただしいモデルとは言えません。あくまで数字までを想像できる関係を見出せる分解を作らないと説明もできないし、修正もできないので注意してください。
 
結果は自分でやってみた後に、ネットで調べればスタバのオフィシャルページには最新のものが載っているので比べてみてください。
 
フェルミ推定は、こんなかんじでやってみるのが慣れるのによいと思いますので、ぜひ何題か自分で考えてやってみて、その後ネットで回答と比べてみればよいと思います。
 
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論理的推論の基礎(「AならばBである」)

論理的な推論は常に結果の正しさを保障するものではありませんが、少なくとも前提となる情報を元により高い確率で良い結論に導きます。
 
論理的に推論することのメリットには一般に以下のようなものがあります。
 
1)良い意思決定ができる
2)説明が容易になる
3)結果の検証がしやすい
4)未来予測の精度があがる
 
一般の世の中を見ている範囲では、推論は常に論理的ではないように思えます。その例なども本論で一緒に見ながら解説していきます。
 
まず「論理的推論」という言葉の意味を考えてみましょう。
一般的に「推論」は以下の3つの要素から構成されます。
(この「論理の三要素」は、スティーヴン・トゥールミンによるトゥールミンモデルが有名である)
 
1)前提となる事実などの情報(”A”とする)
2)元の情報から正しい判断
3)導かれた結論(”B”とする)
 
この「AならばBである」の基本形をもとに推論について解説します。
 
ちなみに、以前の記事で「AならばBである」という命題の基本形の話をしましたので、こちらも参考にご覧ください。
(リンク先)「論理(ロジック)」について学びなおす~その1「命題」について~
 
*注、だんだん専門的になって難しくなっていきます(笑)。(約8000字)
 
まず、以下のような例から考えてみましょう。
 
<推論の例(1)>
 
病気にかかると味覚がなくなる
味覚がない
たぶん病気にかかったのだろう
 
一見すると三段論法のように見えて論理的に見えます。しかし論理的に考えれば、この結論は100%正しいとは言えません。つまり、
 
「味覚がない=>病気になった!」
 
の推論は誤りである可能性が否定できず、断言はできない。これで断言できると判断した人は、論理的な判断ではなかったことになります。
 
<反例> *「反例」とは証明したい事実に反する例で、これがある場合は命題は否定される
 
料理に調味料を入れるのを忘れた!
 
こういう可能性が排除できないため、厳密に論理を扱う「論理学」ではこの推論は正しくないと解釈します。論理学の世界では”真”でないものは”偽”というように定義しています。そして注意すべきことは、論理学の「真である」は日常の言語の「正しい」と同じ意味なのですが、論理学の「偽」を日常の言語で表すと「必ずしも正しくない」という意味で、「誤りである」とは意味が異なります。
 
ややこしいのでまとめると
 
論理用語の「真である」=日常言語の「正しい」
論理用語の「偽である」=日常言語の「いつも正しいわけではない」
≠日常言語の「誤まり」 *「誤まり」は100%間違っているという使われ方が多い
 
 
では、この単純な3つの文章をもう少し論理学の立場から解説していきましょう。
与えられた文章をまず記号で置き換えてみます。
 
「病気にかかる」("A”とする)
「味覚がない」(”B”とする)
 
そうすると上の3つの文章は以下になります。
 
「AならばBである」(病気にかかると味覚がなくなる)
「Bが成り立つ」(味覚がない)
「このときAが成り立つ」(たぶん病気にかかったのだろう)
 
そして
「味覚がないのは、病気になったからだ」というのは、
 
「BならばAである」
 
と置き換えられます。
 
つまりこの推論において、「AならばBである」のとき「BならばAである」が成り立つと主張しています。
 
「AならばBである」という命題に対して「BならばAである」を(命題の)”逆”と言いますが、
これは元の命題が真でも、その”逆”は常に真にはなりません。だから推論としては誤りです。
 
 
 
以下の例は簡単な数学の例ですが、こちらのほうが分かりやすいかもしれません。
 
<推論の例(2)>
「a=2ならばa**2=4」 *「**」の記号は2乗という意味
この命題の逆は
「a**2=4ならばa=2」 これは解答としては誤りです。なぜならa=-2も解となるからです。
 
数学のほうがシンプルですね!
 
 
さて上記の一連の内容について解説すると、「AならばBである」ときにBが成り立つんだったら、絶対にAは成り立つはず!と考えるかもしれません。
しかしA以外のケースでもBが成り立つ可能性があります。
例えば
「CならばBである」も同時に成り立つときには、BだからといってAであるとは限りません。
今回の例でいえば
 
C =「(料理に)調味料を入れるのを忘れる」
 
がそれにあたり、文章に置き換えると
「調味料を入れるのを忘れると、味覚がなくなる」となります。
 
 
論理学的な解説を少しすると、「AならばBである」ときに「Bならば Aである」が成り立つのは、A以外のときにBが成り立たない場合です。つまり「AでないならばBでない」ときです。
 
少しややこしいので、整理しましょう。2つの条件を並べてみましょう。
「AならばBである」
「AでないならばBでない」
 
これは「AのときだけがBになる」と言っていますね。
 
つまりまとめるとこういうことです。
 
「AならばBである」ときに
「Aが成り立つとき”のみ”Bになる」ならば
「BならばAである」が成り立つ
 
このように「AならばBである」かつ「BならばAである」の2つが同時に成り立つときに、論理学では「AとBは同値である」という言い方をします。また、元の命題とその対偶のように常に真偽が一致するものを「トートロジー」と呼びます。(対偶はトートロジーの一つ)
 
 
ちょっとだけ論理学の記号でおさらいします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(書き方の決まり)
AならばBである:「Aー>B」 と書く *真偽が決まる時「命題」とよびます
Aでない:「¬A」 と書く  *「」カッコは範囲を表しているだけです
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
「Aー>B」が真のとき・・・①
「¬Aー>¬B」(裏)は偽・・・②
「¬Bー>¬A」(対偶)は真・・・③
「Bー>A」(逆)は真・・・④
 
①と③は同値(真偽が”常に”一致します)
②と④は同値 *意外と意識されていない事実です。なのでどちらかが言えれば他方が絶対になりたつ。言い換えると元の命題の「逆」または「裏」が真の場合は、他方も真となる。
そしてその時にはAとBは同値である。(「BならばAである」は成り立つ)
 
 
「Aー>B」が真のとき
「¬Aー>¬B」も同時に成り立つなら
対偶である「Bー>A」も真になるため
「A->B」と「Bー>A」は同時に真になる
(「A<ー>B」という書き方をする)
このときAとBは同値であると定義する。
 
 
 
 
 
ここまで出てきた大事なポイントを最後にまとめます。
====================
(推論の大事な結論その1)「論理的推論で誤謬(ごびゅう)を含まない」
*誤謬=論理のエラーのこと
例①「AならばBである」ときに「BならばAである」は必ずしも成り立たない
例②「AならばBである」ときに「BならばAである」が成り立つ条件は、
「AのときだけがBになる」(=「AでないならばBでない」)が成り立つとき
 
日常の言葉に以上を翻訳すると
 
病気にかかると味覚がなくなる
味覚がない
たぶん病気にかかったのだろう
 
は誤り。なぜなら反例として「調味料を入れるのを忘れたから」がありうるから。
もし味覚がなくなる要素が「病気にかかる」に限定できるなら(またその時に限り)推論はただしい。
====================
 
それともう一つ何気なく使っていますが、「Aならば・・・」というときは、「Aが成り立っている」ということを前提として話をしています。これが成り立たないとき、つまり「Aでないとき」はBは何であってもよいということを論理では規定しています。
 
ということは前提条件や仮定となっているAが本当に成り立つかは重要です。それにより結論であるBの存在意義が変わります。もし、絶対に成り立たないAや、非現実的なAを持ってきて推論したところで、そんなことがないのであれば結論Bは一切意味がないことになるからです。
 
====================
(推論の大事な結論その2)「仮定の検証」
 
「AならばBである」の推論をするときには、「A」として成り立つ条件が入らないと推論自体が無意味になります。従ってしっかり課題に合わせた前提条件Aを設定することが大切。
 
====================
<事例研究>プラセボ効果
 
「C薬を飲むと、D病はなおる」
 
という命題があったとします。C薬を飲んだ後D病がよくなった人がいる場合、C薬に対する期待は大きいでしょう。そして実際に自分がD病にかかったときにC薬を飲んで治ったとします。
 
「やっぱりC薬はD病に効くよね!」
 
と喜びました。
 
しかしこれには少し検証が必要です。本当にC薬を飲んだおかげでD病は治ったのか?という検証が抜けています。つまり
 
「D病が治ったのは、C薬を飲んだから」
 
は元の命題の逆なので必ずしも言えません。実際C薬を飲まなかったとしても、じっと寝ていたら治ることだってありえます。
 
論理学の復習をしましょう。
「AならばBである」ときに、「BならばAである」とは一般に言えません。
もしもこれが言えるときには、「A以外の時にはBにならない」と言えないといけませんが、ここでその検討はされているでしょうか?より具体的に言うと「C薬飲まなかったとしても治った」ということがありうるのでしょうか・
 
これは論理的に考えれば不十分です。でもなんとなく上の薬の話ってよくありません?
もし本当にこれが成り立つことを調べるには、「A以外」のケースを調べないといけません。つまり比較実験をして「C薬を飲まなかったときに治ったか?」を調べないといけませんね。
 
実際に検証実験では”偽薬”を使って臨床試験を行い、それは被験者には偽薬であることを伝えられません。そして面白いことに偽薬には全く治療効果がないビタミン剤などを用いられるのですが、被験者の状態は良くなることが確認されています。これを「プラセボ効果」と呼んでいますが、気分次第で人間はある程度治癒力が増すことが分かっています。
 
一方、本物の薬を投与した場合の結果にも同様のプラセボ効果が効いていると判断し、偽薬の被験者との差分で薬の効果を判断します。
 
ではこの2つのケースを論理で書いてきましょう。
「C薬を飲む」(”A”とする)
「D病はなおる」(”B”とする)
 
「Aならば?」と「Aでないならば?」の両方を比較する。
そしてもし実験した結果、偽薬でもD病は治ったとします。
 
「C薬を飲むと、D病はなおる」:「AならばBである」 (Aー>B)
「C薬を飲まなくとも、D病はなおる」:「AでないならばBである」 (¬Aー>B)
 
これはどういうことかと言えば、Aに関係なくBは成り立つということを意味するので、AとBは関係ないということになります。
 
したがってここでの推論のエラー(誤謬)は、
 
「AならばBが成り立つ」ときには「BならばA」は一般には成り立たない」。
さらに、もし「AでないならばBが成り立つ」ならば、AとBは論理的に無関係である。
 
論理学の表記にすると
 
「Aー>B」とき、「Bー>A」は一般には成り立たない。
もし「¬Aー>B」が成り立つならば、AとBは無関係。
 
どうでしょう?病気の時のこのような推論は多いでしょう?
(医学部や薬学部の研究者は、この検証を毎日やっています)
 
 
 
<事例研究>
 
同じ論理構造を用いた心理学の有名な実験をご紹介します。
 
◆「四枚カード問題(ウェイソン選択課題、Wason selection task)」
 
4枚のカードがあり、それぞれ片面にはアルファベットが、もう片面には数字が書かれている。
 
「A」、「K」、「4」、「7」
 
上記4枚のカードが見えている状態である。
このとき、「片面が母音ならば、そのカードのもう一方の面は偶数でなければならない」というルールが成立しているかどうかを調べたい。そのために最低限のどのカードをめくるとすると判明するか?
 
 
 
論理的な正解は、「A」と「7」です。しかし「A」と「4」とする解答がよく出てくるそうです。
 
まず論理的な説明をします。
「A」のカードを調べるのは自然なことで、その裏が本当に偶数になっているかが直接分かるからです。もしもこのカードの裏が奇数であれば、与えられたルールは成り立ちません。
 
一方もしも母音のカードの裏が偶数というならば「4」のカードの裏は母音のはずだ!
 
はい、ここの推論が誤りです。「4」のカードの裏が母音でなかった(つまり子音)だとしても、このルールを満たさないとは言えません。
 
推論の中身を見ていきましょう。
 
「(片面が)母音ならば、そのカードの裏は偶数でなければならない」
これが前提でした。
 
これは、「(片面が)母音でなかったなら、その裏は奇数である」とは言っていません。
 
「AならばBである」ときに「AでないならばBでない」は一般には言えませんでしたね。(命題の”裏”)実際よくみると、元の命題では「母音でない場合」については何も規定していないので、Bも何でもよいのです(偶数でも奇数でもよい)。
したがって「4」のカードを裏返すことにより母音が出ても子音が出ても問題ないわけです。
 
そうなると「K」(母音でない)を裏返すことも実は検証には役に立ちません。母音でないカードの裏についてはこのルールは何も規定していないからです。
 
では「7」についてはどうでしょうか?
 
当然「7」の裏は「母音」または「母音でない(子音)」のどちらかです。
 
(ケース1)「母音」だとすると、その裏が「7」であることはルールに反します。
(ケース2)「母音でない」とすると、その裏が「7」であっても、なんであってもルールとは関係ないのでルールは成り立っている。
 
どちらのケースでもルールの検証は可能です。この結果と先に行った「A」をめくった結果を総合し、両方がルールを満たす場合には与えられたルールが成り立ち、そうでないなら成り立たないことが検証できます。
 
ここまでが論理学の解説です。
 
 
 
 
ここで、以下から少し論理学を離れた心理学の話をします。
 
この問題は有名な「ウェイソン選択課題」と呼ばれる心理学のテーマで、実験的に「A」と「4」と答えた人が、論理的な正解(「A」と「7」)を答えた人より多いことがわかっています。
 
その理由は、論理学のルールと、一般社会での用語のルールに差があるからです。ちなみに自然科学は基本的に論理学と同じルールを用いています。
 
一般社会で「AならばBである」と言った場合、「AでないならBでない」を暗黙に認める解釈もあります。ここが論理学との差分です。論理学の定義では誤りなのですが(つまり自然科学でも誤り)日常生活においては、慣習から論理学とは異なった解釈で使われることが多々あります。
 
実は、私も高校のときにこの「AならばB である」の命題について、「Aが成り立たないときはBはなんでもいい」と初めて教えられたときには「えー、ヘリクツだ!」と思いました(笑)。
 
しかし日常生活で例えば、「外に出ると日焼けする」、「彼は日焼けしている」、「だから彼は外に出た」という話をしたときに、ある人が「いや、あいつは日焼けサロン趣味だから」と言ったら一発で反証になりますよね。
 
そういう意味では論理学のほうが自然科学の推論においては適合していて、実際理系で勉強しているときには、論理の世界にどっぷりつかるので、日常とは少し違う「論理学」の解釈のほうに慣れてきます。(だから理系はヘリクツになるという話あり。はい、織田理系です(笑))
 
 
さて実験に話を戻すと、なぜこれが心理学かというと人間には自分が求める結論を求めたいという「確証バイアス(Confirmation Bias)」が存在するからです。
 
この例では「A」をめくって裏が偶数出ることを確認したとして、「やっぱりそうだ、ルールはあっているな!」と思った人は、「4」がでているカードも多分「偶数だからこうなっているんだ!」という期待を込めて裏返すかもしれません。つまり結論が成り立ってほしいときに、それを支持する情報”だけ”を集めたがるという傾向があり、これが上述の「確証バイアス」です。
 
「C薬を飲めばD病は治る」のケースで、いくつか治った事例があった時にその因果関係を検証せずに、結果として治ったことを例として、推測しましたが、論理的には厳密でありませんでした。
これも、たぶん「この薬はきく!」という思い込み(確証)をもとに、適合するデータだけを持ってきて推論したという点で、典型的な確証バイアスです。
 
そこで、ここの陥らないようにするためには、論理的に証明したいルールがあるのであれば、その反例を見つけることです。それが見つからないことが確認されればルールは成立するはずです。(★ここ大事!★)
反例がもしもすぐに見つかれば、与えられた命題は否定できます。もしも一生懸命見つけようとして見つからなければ命題が成り立ちます。
いいかえると以下のルールになります。
 
もしも与えられた命題を検証したいならば、反例を探すこと。それは確証バイアスに見られるようなたまたま適合する都合の良い情報だけを根拠にすることとは全く逆の態度になります。
 
これも大事な結論なので、まとめます。
 
====================
(推論の大事な結論その3)論理的に検証するなら反例を探す!
(「心理学の”確証バイアス”の排除」)
 
自分が望むルールを証明するときに、都合の良い例だけを用いてはならない。むしろ反例を探すと見つかった時には否定でき、それができなかったときには証明が完了する。
 
====================
 
今回の解説はいったんここで終わります。(お疲れ様です)
さあ、いかがでしょうか?
 
単純な「AならばBである」という命題の形から、論理的に言えること、言えないことなどを解説しましたが、日常の生活でも我々はあまり正しい推論をしていないことがあるのではないでしょうか。
実は私もその一人なので備忘の意味も込めて、今回はまとめました。
 
次回以降、また推論について、もう少し広い範囲のお話をします。
 
==============================
(参考)本日の話の復習を最低限にまとめると以下になります。*実はこれくらいの情報しかない(汗)
 
<高校で学んだ命題論理の復習より>
高校で学んだ命題論理を日常生活で使う時の注意をまとめます。
 
*以下の用語は説明なくここでは使用します。
(命題、真偽、命題の裏/逆/対偶、ド・モルガンの法則、背理法、命題の同値)
 
命題の基本形「AならばBである」の推論の注意点
 
(1)命題「AならばBである」の仮定Aを有意なものとせよ
(2)「AならばBである」のとき、この命題の”逆”(「BならばAである」)は一般に成り立たない
(3)「AならばBである」のとき、逆が成り立つのは「Aの時のみBである」(=「AでないときBでない」)の場合で、この場合はAとBは論理的に”同値”である。
(4)「AならばBである」を証明したい場合は反例を探す。つまりAであるがBが成り立たない例、またはBでないがAである例を探す。(後者は対偶の反例)
成り立つ例をたくさん持ってきても、証明にはならない。(「確証バイアス」を増強するだけ)
*「確証バイアス」とは心理学用語で自分が確信する情報だけを持ってくること
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ケーススタディでのNG集(サマーインターン対策編)

今回は新規事業の立案や、既存事業の改善策を作るなどの「ケーススタディ」と呼ばれる問題を解決する方法についてお話しします。
 
就活生用に書かれていますが、一般のビジネスパーソンでも事業の評価や改善で使えるのでよかったらご覧ください。(社会人向けのセミナーもやっております!)

就職活動ではケーススタディを使った選考には複数人数で行うグループワークと個人で行うケース面接ががあります。どちらも課題を与えられて、一定時間の考察の後に発表して質疑応答などが後に来ることもあります。
ちなみにケース面接では発表後の質疑応答がしっかりしないと通過しないので、発表がゴールではなく発表が終わったところから始まるくらいに考えるとよいと思います。
 
グループワークと個人ワークの違いは、グループワークが課題の検討をチームで取り組むためチームワークの様子を見て、個々が課題解決を通してどのような振る舞いをしているかを見ます。一方個人ワークはメンバーとのすり合わせがない分すべて個人で考えるためより深く考えられた矛盾のない説明が求められます。
 
純粋に論理的に考えて課題解決をしたいのであれば、まずインプットとして現状の詳しい情報が必要になります。例えば業界全体の成長率や現状のシェア、製品の特徴、顧客のニーズなど様々な情報があります。
それらが複雑に絡み合って現在の状態ができているのですが、そこから問題となっている点を特定して、さらにそうなっている原因を見つけることが大切です。
その原因が見つかれば、それに対して何らかのアクション(解決策)を施し、現在の状態から望ましい状態に変えていくことが問題解決の基本プロセスになります。
* 新卒23卒向けの「ケース面接対策セミナー」はこちらから
https://www.goodfind.jp/2023/seminar/6022

*社会人向けのビジネスケース/課題解決の理論と演習(資料)はこちら

 
この一連のプロセスで論理的な推論を行う部分が多いのですが、その論理的な推論ということについて、我々は実は特に教育を受けているわけではありません。
そもそも「論理的」とはどういうことかを、明確に定義されていないまま我々は経験則のみで、この用語を使い、経験則からある程度、何が論理的でないかを意識してそうならないようにしているというのが実情ではないでしょうか。
 
この場面でよくあるNG集は以下の通りで、論理的でないという例です。
 
◆推論の前提を自分勝手に解釈している(勝手に「定義する」)
*前提条件を緩和することで問題は簡単なものに書き換え
例。個人と法人のうち個人のほうが考えやすいので対象としました
 
◆問題解決なのに、問題の実情とは違う前提を置いて推論する
*前提が誤っている推論の結論は全く意味を持たない
例。80歳以上のシニアが全員スマホを使うとすると(そんなの無理!)
 
◆課題とはあまり関係のない一部分に焦点を合わせて推論する
*問題の原因となっていないものを変えても状況は変わらない
例。この商品が売れないのはブランド色が赤いからだと考えました。(色のせいですか?)
 
◆推論のプロセス自体が論理的に矛盾している
*循環論法や相関と因果の混同など
例。シェアが高いことが勝つための基本だ。よって今後の戦略はシェアを上げることだ
 
◆量や数字の情報がまるまる抜けていて実情と合わない
*個々の数字ではなく統計的に意味のある数字を使っているか
例。新しく予算を付ければ少子化は防げます(一人いくら必要?そんなお金どこにある?)
 
◆形容詞を主観的(もしくは恣意的に)判断して使う
*「良い/悪い」などは基準と比較があり成立するもので絶対基準はない
例。日本の起業環境は悪いため(「悪い」は何を基準に?どこと比較して?)
 
◆過度の一般化で具体性がなく現実性がない
*抽象的に考えたはよいが、結果が一般論として正しいが具体性がない
例。売り上げを伸ばすには、ブランディングが必要です(それは間違いはないけど)
 
◆結論が施策でなく問題点の指摘のみになっている
*「どうやって」が抜けているものは施策とは言わない
例。シニア層に売れていないため、そこを強化します。
 
 
基本的に日本の就職活動では、知識の有無で選考が通ったり落ちたりすることはありません。知らないならその場で最低限の質問をするか、創造で補えばよいことです。
採用の立場からすると、何かを知っているからその人は優秀だとか、そうでないかとは考えません。日本での新卒はポテンシャル採用であり、研究職などの一部を除いては学科による有利不利は存在しません。
 
しかしそうであるからこそ、考える力や、挑戦する態度など基礎的な素養が求められます。ところがやっかいなことに、この基礎力というものは一夜漬けでは体得できずしっかり時間をかけて反復しないと身につきませんし、態度という点についてはこれまでの環境からの影響が作用しています。
 
Goodfindでは仕事のみならず研究などにおいても必要とされる、基礎の基礎のセミナーを用意しております。
ロジカルシンキング、ケース面接対策(=問題解決力)、コミュニケーションなどどこでも必要とされるベーシックなものを基礎から学べますので、多少時間がかかってもしっかり将来のためにマスターしていただければと思います。