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論理的推論の基礎(「AならばBである」)

論理的な推論は常に結果の正しさを保障するものではありませんが、少なくとも前提となる情報を元により高い確率で良い結論に導きます。
 
論理的に推論することのメリットには一般に以下のようなものがあります。
 
1)良い意思決定ができる
2)説明が容易になる
3)結果の検証がしやすい
4)未来予測の精度があがる
 
一般の世の中を見ている範囲では、推論は常に論理的ではないように思えます。その例なども本論で一緒に見ながら解説していきます。
 
まず「論理的推論」という言葉の意味を考えてみましょう。
一般的に「推論」は以下の3つの要素から構成されます。
(この「論理の三要素」は、スティーヴン・トゥールミンによるトゥールミンモデルが有名である)
 
1)前提となる事実などの情報(”A”とする)
2)元の情報から正しい判断
3)導かれた結論(”B”とする)
 
この「AならばBである」の基本形をもとに推論について解説します。
 
ちなみに、以前の記事で「AならばBである」という命題の基本形の話をしましたので、こちらも参考にご覧ください。
(リンク先)「論理(ロジック)」について学びなおす~その1「命題」について~
 
*注、だんだん専門的になって難しくなっていきます(笑)。(約8000字)
 
まず、以下のような例から考えてみましょう。
 
<推論の例(1)>
 
病気にかかると味覚がなくなる
味覚がない
たぶん病気にかかったのだろう
 
一見すると三段論法のように見えて論理的に見えます。しかし論理的に考えれば、この結論は100%正しいとは言えません。つまり、
 
「味覚がない=>病気になった!」
 
の推論は誤りである可能性が否定できず、断言はできない。これで断言できると判断した人は、論理的な判断ではなかったことになります。
 
<反例> *「反例」とは証明したい事実に反する例で、これがある場合は命題は否定される
 
料理に調味料を入れるのを忘れた!
 
こういう可能性が排除できないため、厳密に論理を扱う「論理学」ではこの推論は正しくないと解釈します。論理学の世界では”真”でないものは”偽”というように定義しています。そして注意すべきことは、論理学の「真である」は日常の言語の「正しい」と同じ意味なのですが、論理学の「偽」を日常の言語で表すと「必ずしも正しくない」という意味で、「誤りである」とは意味が異なります。
 
ややこしいのでまとめると
 
論理用語の「真である」=日常言語の「正しい」
論理用語の「偽である」=日常言語の「いつも正しいわけではない」
≠日常言語の「誤まり」 *「誤まり」は100%間違っているという使われ方が多い
 
 
では、この単純な3つの文章をもう少し論理学の立場から解説していきましょう。
与えられた文章をまず記号で置き換えてみます。
 
「病気にかかる」("A”とする)
「味覚がない」(”B”とする)
 
そうすると上の3つの文章は以下になります。
 
「AならばBである」(病気にかかると味覚がなくなる)
「Bが成り立つ」(味覚がない)
「このときAが成り立つ」(たぶん病気にかかったのだろう)
 
そして
「味覚がないのは、病気になったからだ」というのは、
 
「BならばAである」
 
と置き換えられます。
 
つまりこの推論において、「AならばBである」のとき「BならばAである」が成り立つと主張しています。
 
「AならばBである」という命題に対して「BならばAである」を(命題の)”逆”と言いますが、
これは元の命題が真でも、その”逆”は常に真にはなりません。だから推論としては誤りです。
 
 
 
以下の例は簡単な数学の例ですが、こちらのほうが分かりやすいかもしれません。
 
<推論の例(2)>
「a=2ならばa**2=4」 *「**」の記号は2乗という意味
この命題の逆は
「a**2=4ならばa=2」 これは解答としては誤りです。なぜならa=-2も解となるからです。
 
数学のほうがシンプルですね!
 
 
さて上記の一連の内容について解説すると、「AならばBである」ときにBが成り立つんだったら、絶対にAは成り立つはず!と考えるかもしれません。
しかしA以外のケースでもBが成り立つ可能性があります。
例えば
「CならばBである」も同時に成り立つときには、BだからといってAであるとは限りません。
今回の例でいえば
 
C =「(料理に)調味料を入れるのを忘れる」
 
がそれにあたり、文章に置き換えると
「調味料を入れるのを忘れると、味覚がなくなる」となります。
 
 
論理学的な解説を少しすると、「AならばBである」ときに「Bならば Aである」が成り立つのは、A以外のときにBが成り立たない場合です。つまり「AでないならばBでない」ときです。
 
少しややこしいので、整理しましょう。2つの条件を並べてみましょう。
「AならばBである」
「AでないならばBでない」
 
これは「AのときだけがBになる」と言っていますね。
 
つまりまとめるとこういうことです。
 
「AならばBである」ときに
「Aが成り立つとき”のみ”Bになる」ならば
「BならばAである」が成り立つ
 
このように「AならばBである」かつ「BならばAである」の2つが同時に成り立つときに、論理学では「AとBは同値である」という言い方をします。また、元の命題とその対偶のように常に真偽が一致するものを「トートロジー」と呼びます。(対偶はトートロジーの一つ)
 
 
ちょっとだけ論理学の記号でおさらいします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(書き方の決まり)
AならばBである:「Aー>B」 と書く *真偽が決まる時「命題」とよびます
Aでない:「¬A」 と書く  *「」カッコは範囲を表しているだけです
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
「Aー>B」が真のとき・・・①
「¬Aー>¬B」(裏)は偽・・・②
「¬Bー>¬A」(対偶)は真・・・③
「Bー>A」(逆)は真・・・④
 
①と③は同値(真偽が”常に”一致します)
②と④は同値 *意外と意識されていない事実です。なのでどちらかが言えれば他方が絶対になりたつ。言い換えると元の命題の「逆」または「裏」が真の場合は、他方も真となる。
そしてその時にはAとBは同値である。(「BならばAである」は成り立つ)
 
 
「Aー>B」が真のとき
「¬Aー>¬B」も同時に成り立つなら
対偶である「Bー>A」も真になるため
「A->B」と「Bー>A」は同時に真になる
(「A<ー>B」という書き方をする)
このときAとBは同値であると定義する。
 
 
 
 
 
ここまで出てきた大事なポイントを最後にまとめます。
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(推論の大事な結論その1)「論理的推論で誤謬(ごびゅう)を含まない」
*誤謬=論理のエラーのこと
例①「AならばBである」ときに「BならばAである」は必ずしも成り立たない
例②「AならばBである」ときに「BならばAである」が成り立つ条件は、
「AのときだけがBになる」(=「AでないならばBでない」)が成り立つとき
 
日常の言葉に以上を翻訳すると
 
病気にかかると味覚がなくなる
味覚がない
たぶん病気にかかったのだろう
 
は誤り。なぜなら反例として「調味料を入れるのを忘れたから」がありうるから。
もし味覚がなくなる要素が「病気にかかる」に限定できるなら(またその時に限り)推論はただしい。
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それともう一つ何気なく使っていますが、「Aならば・・・」というときは、「Aが成り立っている」ということを前提として話をしています。これが成り立たないとき、つまり「Aでないとき」はBは何であってもよいということを論理では規定しています。
 
ということは前提条件や仮定となっているAが本当に成り立つかは重要です。それにより結論であるBの存在意義が変わります。もし、絶対に成り立たないAや、非現実的なAを持ってきて推論したところで、そんなことがないのであれば結論Bは一切意味がないことになるからです。
 
====================
(推論の大事な結論その2)「仮定の検証」
 
「AならばBである」の推論をするときには、「A」として成り立つ条件が入らないと推論自体が無意味になります。従ってしっかり課題に合わせた前提条件Aを設定することが大切。
 
====================
<事例研究>プラセボ効果
 
「C薬を飲むと、D病はなおる」
 
という命題があったとします。C薬を飲んだ後D病がよくなった人がいる場合、C薬に対する期待は大きいでしょう。そして実際に自分がD病にかかったときにC薬を飲んで治ったとします。
 
「やっぱりC薬はD病に効くよね!」
 
と喜びました。
 
しかしこれには少し検証が必要です。本当にC薬を飲んだおかげでD病は治ったのか?という検証が抜けています。つまり
 
「D病が治ったのは、C薬を飲んだから」
 
は元の命題の逆なので必ずしも言えません。実際C薬を飲まなかったとしても、じっと寝ていたら治ることだってありえます。
 
論理学の復習をしましょう。
「AならばBである」ときに、「BならばAである」とは一般に言えません。
もしもこれが言えるときには、「A以外の時にはBにならない」と言えないといけませんが、ここでその検討はされているでしょうか?より具体的に言うと「C薬飲まなかったとしても治った」ということがありうるのでしょうか・
 
これは論理的に考えれば不十分です。でもなんとなく上の薬の話ってよくありません?
もし本当にこれが成り立つことを調べるには、「A以外」のケースを調べないといけません。つまり比較実験をして「C薬を飲まなかったときに治ったか?」を調べないといけませんね。
 
実際に検証実験では”偽薬”を使って臨床試験を行い、それは被験者には偽薬であることを伝えられません。そして面白いことに偽薬には全く治療効果がないビタミン剤などを用いられるのですが、被験者の状態は良くなることが確認されています。これを「プラセボ効果」と呼んでいますが、気分次第で人間はある程度治癒力が増すことが分かっています。
 
一方、本物の薬を投与した場合の結果にも同様のプラセボ効果が効いていると判断し、偽薬の被験者との差分で薬の効果を判断します。
 
ではこの2つのケースを論理で書いてきましょう。
「C薬を飲む」(”A”とする)
「D病はなおる」(”B”とする)
 
「Aならば?」と「Aでないならば?」の両方を比較する。
そしてもし実験した結果、偽薬でもD病は治ったとします。
 
「C薬を飲むと、D病はなおる」:「AならばBである」 (Aー>B)
「C薬を飲まなくとも、D病はなおる」:「AでないならばBである」 (¬Aー>B)
 
これはどういうことかと言えば、Aに関係なくBは成り立つということを意味するので、AとBは関係ないということになります。
 
したがってここでの推論のエラー(誤謬)は、
 
「AならばBが成り立つ」ときには「BならばA」は一般には成り立たない」。
さらに、もし「AでないならばBが成り立つ」ならば、AとBは論理的に無関係である。
 
論理学の表記にすると
 
「Aー>B」とき、「Bー>A」は一般には成り立たない。
もし「¬Aー>B」が成り立つならば、AとBは無関係。
 
どうでしょう?病気の時のこのような推論は多いでしょう?
(医学部や薬学部の研究者は、この検証を毎日やっています)
 
 
 
<事例研究>
 
同じ論理構造を用いた心理学の有名な実験をご紹介します。
 
◆「四枚カード問題(ウェイソン選択課題、Wason selection task)」
 
4枚のカードがあり、それぞれ片面にはアルファベットが、もう片面には数字が書かれている。
 
「A」、「K」、「4」、「7」
 
上記4枚のカードが見えている状態である。
このとき、「片面が母音ならば、そのカードのもう一方の面は偶数でなければならない」というルールが成立しているかどうかを調べたい。そのために最低限のどのカードをめくるとすると判明するか?
 
 
 
論理的な正解は、「A」と「7」です。しかし「A」と「4」とする解答がよく出てくるそうです。
 
まず論理的な説明をします。
「A」のカードを調べるのは自然なことで、その裏が本当に偶数になっているかが直接分かるからです。もしもこのカードの裏が奇数であれば、与えられたルールは成り立ちません。
 
一方もしも母音のカードの裏が偶数というならば「4」のカードの裏は母音のはずだ!
 
はい、ここの推論が誤りです。「4」のカードの裏が母音でなかった(つまり子音)だとしても、このルールを満たさないとは言えません。
 
推論の中身を見ていきましょう。
 
「(片面が)母音ならば、そのカードの裏は偶数でなければならない」
これが前提でした。
 
これは、「(片面が)母音でなかったなら、その裏は奇数である」とは言っていません。
 
「AならばBである」ときに「AでないならばBでない」は一般には言えませんでしたね。(命題の”裏”)実際よくみると、元の命題では「母音でない場合」については何も規定していないので、Bも何でもよいのです(偶数でも奇数でもよい)。
したがって「4」のカードを裏返すことにより母音が出ても子音が出ても問題ないわけです。
 
そうなると「K」(母音でない)を裏返すことも実は検証には役に立ちません。母音でないカードの裏についてはこのルールは何も規定していないからです。
 
では「7」についてはどうでしょうか?
 
当然「7」の裏は「母音」または「母音でない(子音)」のどちらかです。
 
(ケース1)「母音」だとすると、その裏が「7」であることはルールに反します。
(ケース2)「母音でない」とすると、その裏が「7」であっても、なんであってもルールとは関係ないのでルールは成り立っている。
 
どちらのケースでもルールの検証は可能です。この結果と先に行った「A」をめくった結果を総合し、両方がルールを満たす場合には与えられたルールが成り立ち、そうでないなら成り立たないことが検証できます。
 
ここまでが論理学の解説です。
 
 
 
 
ここで、以下から少し論理学を離れた心理学の話をします。
 
この問題は有名な「ウェイソン選択課題」と呼ばれる心理学のテーマで、実験的に「A」と「4」と答えた人が、論理的な正解(「A」と「7」)を答えた人より多いことがわかっています。
 
その理由は、論理学のルールと、一般社会での用語のルールに差があるからです。ちなみに自然科学は基本的に論理学と同じルールを用いています。
 
一般社会で「AならばBである」と言った場合、「AでないならBでない」を暗黙に認める解釈もあります。ここが論理学との差分です。論理学の定義では誤りなのですが(つまり自然科学でも誤り)日常生活においては、慣習から論理学とは異なった解釈で使われることが多々あります。
 
実は、私も高校のときにこの「AならばB である」の命題について、「Aが成り立たないときはBはなんでもいい」と初めて教えられたときには「えー、ヘリクツだ!」と思いました(笑)。
 
しかし日常生活で例えば、「外に出ると日焼けする」、「彼は日焼けしている」、「だから彼は外に出た」という話をしたときに、ある人が「いや、あいつは日焼けサロン趣味だから」と言ったら一発で反証になりますよね。
 
そういう意味では論理学のほうが自然科学の推論においては適合していて、実際理系で勉強しているときには、論理の世界にどっぷりつかるので、日常とは少し違う「論理学」の解釈のほうに慣れてきます。(だから理系はヘリクツになるという話あり。はい、織田理系です(笑))
 
 
さて実験に話を戻すと、なぜこれが心理学かというと人間には自分が求める結論を求めたいという「確証バイアス(Confirmation Bias)」が存在するからです。
 
この例では「A」をめくって裏が偶数出ることを確認したとして、「やっぱりそうだ、ルールはあっているな!」と思った人は、「4」がでているカードも多分「偶数だからこうなっているんだ!」という期待を込めて裏返すかもしれません。つまり結論が成り立ってほしいときに、それを支持する情報”だけ”を集めたがるという傾向があり、これが上述の「確証バイアス」です。
 
「C薬を飲めばD病は治る」のケースで、いくつか治った事例があった時にその因果関係を検証せずに、結果として治ったことを例として、推測しましたが、論理的には厳密でありませんでした。
これも、たぶん「この薬はきく!」という思い込み(確証)をもとに、適合するデータだけを持ってきて推論したという点で、典型的な確証バイアスです。
 
そこで、ここの陥らないようにするためには、論理的に証明したいルールがあるのであれば、その反例を見つけることです。それが見つからないことが確認されればルールは成立するはずです。(★ここ大事!★)
反例がもしもすぐに見つかれば、与えられた命題は否定できます。もしも一生懸命見つけようとして見つからなければ命題が成り立ちます。
いいかえると以下のルールになります。
 
もしも与えられた命題を検証したいならば、反例を探すこと。それは確証バイアスに見られるようなたまたま適合する都合の良い情報だけを根拠にすることとは全く逆の態度になります。
 
これも大事な結論なので、まとめます。
 
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(推論の大事な結論その3)論理的に検証するなら反例を探す!
(「心理学の”確証バイアス”の排除」)
 
自分が望むルールを証明するときに、都合の良い例だけを用いてはならない。むしろ反例を探すと見つかった時には否定でき、それができなかったときには証明が完了する。
 
====================
 
今回の解説はいったんここで終わります。(お疲れ様です)
さあ、いかがでしょうか?
 
単純な「AならばBである」という命題の形から、論理的に言えること、言えないことなどを解説しましたが、日常の生活でも我々はあまり正しい推論をしていないことがあるのではないでしょうか。
実は私もその一人なので備忘の意味も込めて、今回はまとめました。
 
次回以降、また推論について、もう少し広い範囲のお話をします。
 
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(参考)本日の話の復習を最低限にまとめると以下になります。*実はこれくらいの情報しかない(汗)
 
<高校で学んだ命題論理の復習より>
高校で学んだ命題論理を日常生活で使う時の注意をまとめます。
 
*以下の用語は説明なくここでは使用します。
(命題、真偽、命題の裏/逆/対偶、ド・モルガンの法則、背理法、命題の同値)
 
命題の基本形「AならばBである」の推論の注意点
 
(1)命題「AならばBである」の仮定Aを有意なものとせよ
(2)「AならばBである」のとき、この命題の”逆”(「BならばAである」)は一般に成り立たない
(3)「AならばBである」のとき、逆が成り立つのは「Aの時のみBである」(=「AでないときBでない」)の場合で、この場合はAとBは論理的に”同値”である。
(4)「AならばBである」を証明したい場合は反例を探す。つまりAであるがBが成り立たない例、またはBでないがAである例を探す。(後者は対偶の反例)
成り立つ例をたくさん持ってきても、証明にはならない。(「確証バイアス」を増強するだけ)
*「確証バイアス」とは心理学用語で自分が確信する情報だけを持ってくること